その日から、瞬は、氷河完全無視を決め込んだ。
城戸邸内に起居している青銅聖闘士たちの中で最も温和な人物がぎすぎすしていると、屋敷の中の雰囲気は険悪かつ剣呑なものに変わる。
が、氷河はその事実にまるで気付いたふうもなく、相変わらず外出を続けていた。
瞬だけが意地を張り、激怒し、泣いている──傍から見れば、二人の様子はそんなふうに見えていただろう。

突然、星矢が瞬の前に土下座をして額を床にこすりつけたのは、瞬の氷河完全無視が始まって3日後の朝のことだった。

「悪いっ! 瞬、この通り!」
「星矢、どうしたの」
「何もかもオレが悪い。申し訳ないっ!」
「いったい何を謝ってるの」

米つきバッタのように幾度も頭を下げてくる星矢に、瞬は、当然のことながら ひどく困惑したのである。
瞬にとって星矢は、氷河に一方的な暴行を受けてなお、仲間の心を気遣って秘密を守り通そうとする友情の士だった。
謝られるようなことをされた覚えはない。

仲間の土下座に当惑している瞬に、星矢は、暫時ためらってから意を決したような顔になり、こういう事態に相成った事情を語り始めたのだった。
「おまえ勘違いして、氷河に激怒してるみたいだけどな。氷河は、あの本使ってオトコを引っかけようとしてるんじゃないんだ。あの雑誌には、『素敵なおじさま募集中』のおまえの写真が載ってるんだよ!」
「え……?」

それはいったいどういうことなのかと瞬が戸惑ったのは、これまた当然のことである。
あの雑誌を購入している氷河の姿を見かけるまで、瞬は、あんな雑誌がこの世に存在することすら知らなかったのだから。

「写真を送ったのは俺。本屋でゲームの攻略本探してたら、あの本が目にとまってさ。年に1回の何とかボーイコンテストとかってのの募集要項が裏表紙に書いてあったんだ。グランプリの商品が、チョニーのPSPとニャンテンドーのニャンテンドーDSのセットにゲームソフト20本って書いてあってさ、俺、それがどうしても欲しかったんだよ!」
「星矢……」
「応募して、それっきり忘れてたんだけど、発売日の数日後に景品が送られてきて、氷河にバレちまった──いや、転送メールの方が先だったのかな」

そんなとんでもないことをしでかしてくれた星矢の口調と記憶は、無責任にも、どこか頼りなげだった。
「メールの転送先のアドレスを俺のケータイのやつにしてたんだけど、どうせ俺、使い方わかんねーし、ほっときゃいいと思ってたんだ。でも、数分とおかずにメール着信の着メロが最大ボリュームで流れるようになって、でも俺、止め方も設定の変え方も知らなくてさ。不審に思った氷河に問い詰められて、白状させられて──」

星矢の告白に、瞬は、そろそろ思考が麻痺しかけていた。
「そのうちに、出版社から手紙も転送されてくるようになって、それ読んで、氷河が激怒して──」
「て……手紙って、僕宛てなんでしょ。氷河が勝手に開封したの? それって、信書開披罪……」
瞬の言葉の語尾がぼやけていったのは、数日前に自分も似たような罪を犯したばかりだったことを思い出したからだった。
星矢が、ぱたぱたぱたと左右に首を振る。

「いや、手紙は おまえ宛てじゃなくて、源氏名・瞬子ちゃん宛てなんだから、その罪は成り立たないだろ」
「……!」
何というセンスのないネーミングだろう。
呆れ果てて、瞬は言葉を失いかけていた。

「あの本の発売日から1週間過ぎたくらいからだったかな、最初の日は2通だけだったんだ。でも、次の日から来るわ来るわ、携帯のメールの方もひっきりなし」
絶句している瞬とは対照的に、星矢の口調が妙に明るく調子づいてくる。
自分の蒔いた種の実りの多さに、星矢はかなり──実は、わくわくしていたものらしい。
「発行部数3万部の弱小雑誌だぜ。すごい確率だろ! みーんな、にっこり笑ってるおまえの写真にころっと騙されて、手紙は200通以上、携帯のメールは2000通くらい。俺の見込みは確かだったって、俺、自信持っちまったい」

「星矢っ!」
なんとか──幾分気を取り直した瞬に怒鳴られて、
「ごめん……」
星矢は再び両の肩を落として項垂れた。






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