突然美穂から城戸邸の星矢のもとに電話がかかってきたのは、春も間近なある冬の日の午後。
正義の味方ヘルメスがマスメディアを賑わし始めてから半月が過ぎた頃のことだった。
星の子学園の子供たちが揃って出掛けた某テーマパークに、時代遅れの胡散臭い団体が襲来し、暴れ始めているというのである。

「遊園地を狙うなんて、30年前のショッカーかよ! 神の手先にしてはせこすぎるぜ!」
そんな不満を口にしながら、それでも星矢と瞬は、車より速い俊足を駆使して問題のテーマパークに急いだ。
もちろん、そのあとから、紫龍と、瞬が行くので不本意ながら同道する氷河がついてくる。

が、幸か不幸か、星矢と瞬が現場に到着した時には、すべてが終わったあとだった。
パークの各施設の周囲に、時代錯誤もしくはファンタジーがかったアドベンチャーゲームの脇役まがいの衣装を身に着けた男たちが十数人ほど呻き倒れている。

「これ……どーなってんだ?」
「私が星矢ちゃんに電話したすぐあとに、突然現れたあの人が倒してくれたの」
息せき切って駆けつけたアテナの聖闘士たちの姿を認めた美穂が、星矢の側に駆け寄ってくる。
「あの人?」

──何とはなく、そんな気はしていたのだが案の定。
美穂が指で指し示した場所に得意げに格好をつけて立っていたのは、昨今テレビでお馴染みの泥棒神ヘルメスその人だった。
ずるずると邪魔そうな長衣ではなく聖衣に似たプロテクターもどきを身にまとっているあたりが、星矢たちが見知っている神々とは異なっている。
彼は、遅れて到着したアテナの聖闘士たちを見下すような視線を、振り返った星矢の上に据えていた。

「星矢にーちゃーん、やっぱり来てくれたんだねー」
美穂の後ろから、どこかで聞いたセリフを発して、星の子学園の悪童たちが星矢の周りに群がってくる。
ちゃっかり瞬にひっつく女の子も数名いた。

「おまえら、無事だったか」
「みんな、大丈夫? 怪我はない?」
「平気だぜ〜」
「星矢にーちゃんが来てくれるのわかってたし」
「瞬ちゃんが強いの知ってるもん」

わいのわいの騒ぎながら子供たちが星矢と瞬に群がっていく様が、それまで星矢たちを見下しているふうだった泥棒神の気に障ったらしい。
彼は星矢たちに群がっている子供たちに、幾分甲走かんばしった怒声を投げつけた。
「そこの子供共、その態度はいったい何だ !? おまえたちを救ってやったのはこの私だぞ。感謝し褒め称えるなら、その相手はペガサスやアンドロメダではなく、この私だろう!」

どうやら胡散臭い泥棒の神は、固体識別ができるほどには、アテナの聖闘士たちについての情報を把握しているらしい。
さすがは情報の神と、紫龍あたりは妙なところで感心していたのだが、星の子学園の子供たちには彼の怒りの訳がまるでわからなかったらしい。

正義は一つであり、ゆえに正義の味方はみな同じだという、ごく単純な認識に沿って、彼等は生きているのだから、ヘルメスの怒りが理解できないのも当然のことだった。
「あんた、正義の味方なんだろ? 星矢にーちゃんもそうだし、俺たちがどっちを褒めようが、そんなの、どうだっていいことじゃん」
おまけに、星の子学園の子供たちは神への口のきき方も心得ていなかった。

「どっちでもいいとは何だ。神たる私がわざわざこんなところまで出向いてきて、おまえたちを悪人から救ってやったんだぞ。私に感謝し、私を褒め称えるのが筋だろう。アテナの聖闘士は、他人の手柄を横取りするか!」
先に他人の手柄を横取りしたのはどっちだと星矢が反駁する前に、率直かつ遠慮のない子供たちが──声の抑え方を知らない子供特有の音量と口調で──仲間に問う。

「このおっさん、何言ってるんだ〜?」
「さぁ?」
「お……おっさん…… !? 」
アポロンほどではないにしろ、伝令神ヘルメスといえば、美青年と相場が決まっている。
実際彼は、外見だけは申し分なく──プラクシテレスが刻んだ彫像そのままの端麗な姿をしていた。
ヘルメスは邪気のない子供のおっさん呼ばわりに、ぴくりとこめかみを引きつらせた。

が、もちろん、星の子学園の悪童たちは、そんなデリケートな男心に頓着するようなキャラクターではない。
その上、彼等には彼等の言動の根拠というものがあった。
「星矢にーちゃんはいつも俺たちと遊んでくれるし」
「瞬ちゃんは、こないだ私が転んだ時、私の肘にバンソーコ貼ってくれたのよ」

だから、星の子学園の子供たちには星矢たちこそが正義の味方だった。
その正義の味方に敵対するものは、これすなわち悪である。
そんな単純な方程式が、だが、ヘルメスには全く納得できないものだったらしい。
彼は、頭ごなしに、大人げなく、再度子供たちを怒鳴りつけてきたのである。

「私の美挙を、そういう軽い振舞いと同列に語るなっ! 私は我が身の危険を顧みず、命懸けでおまえたちを窮地から救ってやったのだぞ。転んで絆創膏を貼ってもらっただと? そんなお手軽な小善と私の大いなる至善のわざを比べるな!」

ヘルメスの啖呵は、しかし、星の子学園の子供たちには何の効果も及ぼさなかった。
子供たちには、『美挙』『小善』『至善』等の単語の意味するところが理解できなかったのである。



■参照 『赤子のディオニソスを抱くヘルメス像』 こちらの『Hermes of Praxiteles』



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