「わ……私は……自分の得になるわけでもないのに、か……神たるこの俺が、人間ごときのためにわざわざ闘ってやったんだぞ! これこそ、アテナの言う愛というものではないか! 人はそういう実体を伴わない空虚な概念に感動するんだろう。感動しろ!」
『私』が『俺』に変わってきているところからして、ヘルメスが氷河の饒舌に押されてきているのは、紛う方なき事実だった。
氷河は、しかし、当然、下品な神への攻撃の手をゆるめない。

「言葉の意味がわかっていないようだな。そういうものは愛とは言わない。偽善と言うんだ」
「偽善? 人を傷付けたくないと言いながら、傷付けることは偽善と呼ばないのか」
氷河に向かってがなりたててから、ヘルメスはちらりと瞬に一瞥をくれた。
情報の神らしく、彼はその手の情報の収集には熱心らしい。
瞬は、彼の視線と言葉とに、びくりと身体を震わせた。

だが、氷河は動じない。
彼はひるむ気配もなく、あくまでも偉そうに詭弁の神に対する論陣を張り続けた。
「無論、全く違う。瞬は、自分が傷付けなければならない敵を愛しているからな。そんな気持ちさえ持たなければ、もっとずっと楽に闘えるというのに」

「氷河……」
瞬は、ヘルメスの言葉以上に、氷河のその言葉に、心を動かされたのである。
それは、瞬自身も気付いていなかったことだった。
なぜ、自分は敵を倒すことがこんなにもつらいのか──瞬は、これまで全く気付いていなかった。
自分がその敵を愛していたのだということに。

だが、氷河は、瞬のその相克と葛藤の理由を知っていた──知っていてくれた──のだ。
瞬はふいに、視界に映る氷河の背中がぼやけ始めていることに気付いた。

氷河はといえば、瞬の瞳を覆い始めた涙に気付いた様子もなく、瞬を侮辱した相手を完膚無きまで叩きのめすことに夢中で、いよいよ舌鋒を鋭くし、べらべらべらべらとまくしたて続けている。

「愛というのは、虚栄心や功名心のために危険を冒すことでもなければ、英雄的行為をすることでもない。ごく当たり前のこと、ありきたりのこと、誰にでもできること、相手にしてやりたいことを、相手のために心を込めてすることだ。虚栄心でそんなことをする者をこそ、偽善者と言い、馬鹿と言う。貴様の登場で、瞬といちゃついていられる時間が増えて喜んでいたのに、俺は俺の感謝の気持ちを無にされた気分だ。貴様には心底から失望したぞ」

人間ごとき・・・に、舌打ちと共に馬鹿呼ばわりされては、ヘルメスにはもはや神たる立場も尊厳もない。
そして、星矢たちの胸中ではそろそろ、ヘルメスへの軽蔑や嫌悪の念より同情心の方が勝り始めていた。






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