「氷河、そろそろ勘弁してやれよ」
「うむ。仮にも神がこれでは、さすがに哀れをもよおす」
氷河に馬鹿呼ばわりされた上に、星矢と紫龍の憐憫を含んだ口調での執り成しである。
ヘルメスは逆に、ここで引くわけにはいかなくなった。
泥棒の神にもプライドというものはあるのだ。
──とはいえ彼は、氷河の饒舌に対抗するために、正義の味方の仮面を脱ぎ捨てなければならなくなったが。

「どちらを信じるかと聞いたな。人はもちろん、宣伝された偽善の方を信じるさ。隠れた善行、隠れた善意にどんな意味がある。善行や努力というものは、人の目に触れるところでしなければ意味がない」
「私はあなた方のために頑張っていますと宣伝してか。さもしい話だ。馬鹿でない者は、貴様が虚栄心のためにそうしていることを見破るだろう」
「人間の大部分は愚か者だ」

「あの子たちは愚かではないようだが」
氷河がちらりと、彼の背後にいる星の子学園の子供たちに視線を投げる。
ヘルメスは、氷河の言に即座に反応した。
言葉ではなく行動──到底善行とは言い難い行動──で。
「数少ない利口者は消し去ればいいのだ!」
そう叫ぶなり、彼は、彼の野望の障壁である賢明な子供たちに拳を放ったのである。

「危ないっ!」
「おまえたち、よけろっ!」
それまですっかり蚊帳かやの外に追いやられていた瞬と星矢が、子供たちに向かって放たれたヘルメスの光の球のような拳と子供たちの間に我が身を盾にして立ちはだかる。

馬鹿をからかいすぎると軽挙妄動に出るという法則を遅ればせながらに思い出した氷河は、慌てて、子供たちを庇った瞬に声をかけた。
「瞬、大丈夫かっ!」
瞬が大丈夫と答える前に、星矢が悲鳴で氷河を責める。
「俺のことも心配しろよ〜っ!」

愛を感じていない相手を心配する振りをすることは、氷河の辞書では『偽善』と定義されていた。
そして、氷河は、偽善者ではなく、ただの正直者だった。
「おまえは殺されても死なない奴だろーが!」
瞬の無事を確認し、星矢に思い切り勝手なことをほざいてから、氷河は再びヘルメスに向き直った。
そして、虚言の神に、ふっと冷笑を向ける。

「本性を現したな。よかろう、男の闘いに言葉は不要!」
あれだけ、べらべらべらべらべらべら まくしたてておいて、この言い草──である。
どの口でそんなことを言うのかと、ヘルメスは氷河の態度に唖然とし、星矢と紫龍はさすがに今ばかりは心底からヘルメスに同情した。
要するに──相手が悪すぎるのだ。

それはともかく。
かの不死鳥座の聖闘士を憤怒の極致に至らせたそのセリフを、氷河が発したその時だった。
この時を待っていましたとばかりに、テレビカメラを抱えた集団が、どこからともなくわらわらと湧いて出てきたのは。

「こちらですか。神か狂人かと話題のヘルメスさんが、悪行三昧をしている現場というのは」
「やはり神の生まれ変わりというのは、ただのかたりだったんですね、ヘルメスさん」
「ヘルメスさん、全国のあなたのファンに一言お願いしまーす!」

「なにぃ……!」
氷河以上に遠慮も礼儀もない芸能レポーターたちに囲まれて、ヘルメスは車田マンガの定番台詞を吐き出した。
情報の神は、メディアの持つ力の強大さを知っている。
利用したつもりでいた力に、今、自分がしっぺ返しを受けようとしていることに気付いて、ヘルメスは呆然とした。

どこからともなく湧いて出てきたた集団の後ろに、沙織がにっこりと微笑んで立っている。
「謀ったな、アテナ」
彼が倒したかった真の“敵”に、だが、今の彼は怨言を吐くことしかできなかった。

「ごめんなさい。さもしい者には、こちらも相応の手段を取らない訳にはいかなくて。こんなくだらないことで、私の聖闘士たちの機嫌を損ねたくもなかったし、ね」
智恵と闘いの女神は、そううそぶいて、泥棒神に嫣然と微笑んだ。






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