「氷河、泣かないでよ」
氷河が『泣いていない』と言ってくれないことが、瞬を切なくさせる。
誰が氷河をこんなに悲しませているのか──その相手をこの世から消し去ってしまいたいと思うほどに、瞬は氷河の涙を憎んだ。

「氷河、何か悲しいことがあったの」
「…………」
「氷河にも好きな人がいるの?」
──何となく、そんな気がした。

氷河は瞬の推察を否定しない。
やはりそういうことなのだ。
そして、おそらく氷河の恋もあまり幸福なものではないのだろう。
だから彼は、瞬の我儘を叱らずにいてくれる。
氷河の胸の中で瞬は、どうして人の心はこれほどまでに擦れ違うようにできているのかと、自分だけならまだしも、どうして多くの人の思いが報われないことが多いのかと、苦すぎる思いを噛みしめていた。

「人間てのは……」
そんな瞬の思いを見透かしたように、氷河がふいに低い声を発する。
それは、瞬が期待した、彼の涙を否定する言葉ではなかった。
「人間てのは不公平にできている。愛される者と愛されない者がいて、愛されていない者には何の力もない。大切な人が泣いていても、俺は慰めてもやれない。なのに、愛されている者は、ただ一言『好きだ』と言えば、それだけで相手を幸せにできるんだ」

「そんなこと……そんなことないよ。僕は星矢が好きだけど、今、星矢に好きだって言ってもらえても、氷河が悲しんでいたら、僕は少しも幸せになれないもの!」
たった今まで──氷河の涙を見るまでは、その言と大差ないことを考えていたというのに、気がつくと瞬は、懸命に氷河の言葉を否定していた。

それは、氷河を慰めるために咄嗟に作った言葉ではなかった。
実際、瞬は、星矢に好きではないと言われた時よりも今の方が──やりきれない言葉を吐く氷河を抱きしめている今の方が──何倍もつらく不幸だったのだ。

「泣かないでよ、氷河。死んじゃだめ」
氷河の背にまわしていた腕に、瞬は力を込めた。
同じように、氷河の腕が、瞬の冷え切った肩と背中を抱きしめる。


おそらく、これが今年最後の雪。
きらきらときらめく雪は、冷たく美しく二人の周囲を輝かせながら、ますます夜の庭の気温を下げていく。
けれど、二人は二人だったので──互いの体温が互いを庇い合い、死ぬことはできなかった。






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