「瞬がおかしい」
氷河が低くぼやいたのは、なぜか瞬の姿が悲痛に見える夜を幾度か繰り返したあとの、ある日の午後のことだった。

氷河の呟きを耳ざとく聞きつけた星矢が、暇つぶしに眺めていたスポーツ雑誌を脇に放り投げて、氷河が腰掛けている長椅子のアームに肘を乗せてくる。
とにかく、どんな次元のことでも構わないから“面白いこと”の発生を期待している態度を隠そうともせずに、星矢は氷河に言った。

「やりすぎて疲れてんじゃねーの? おまえ、瞬に相当無理させてるだろ。この頃の瞬、まるで元気ねーし」
「瞬を好きなら、瞬のために自分を抑えることも学ぶべきだぞ。今は敵さんも休暇中のようだから事なきを得ているが、今の瞬は、とてもまともに闘える様子をしていない」
最近、瞬に覇気がなく、いつも病人のように青白い頬をしていることには、星矢も紫龍も気付いていた。

原因も、大体察しはついていたのだが、まさか瞬に対して、
『やりすぎは身体に毒だぞ』
などという、あまり高雅とは言い難い冷やかしの言葉を掛けるわけにはいかない。
アテナの聖闘士たちは、なぜかその手の話は、瞬がいない時を見計らって行なうのが慣習になっていた。
その分、瞬がいない時の彼等の下半身談義は露骨を極めていたが。

「俺はいつだって、瞬の身を気遣ってるぞ! 俺が無理を強いてるんじゃない、瞬が俺を放してくれないんだ。一度終わると、まだ肩で息をしてるくせに――」
『もう いっかいして』
そう言って瞬は、その白く細い腕を、自分の横にいる氷河の胸に伸ばしてくる。
腕に力は加わっていないのに、瞬の指先は異様に熱く、氷河は瞬の誘いをはねつけることができなかった。

「なんだぁ? 疲れてんのはおまえの方かよ? 情けなー」
星矢が入れてきた茶々に、氷河は半ば本気で立腹してしまったのである。
彼にとって、この問題は、既に下ネタ猥談の次元にはないものだった。

「阿呆! 俺は瞬さえ構わないのなら、一晩が百晩でも望むところだ。だが、いくら瞬がそれを望んでいても、こんなことを毎晩続けていたら、俺はいつか瞬の身体を壊してしまう……!」
氷河は、本気で、それを心配していたのである。
それほどに──最近の瞬の求め方は尋常ではなかった。

「なら、瞬に、『もうできません』と頭を下げて、丁重にお誘いを辞退するしかないだろう」
紫龍の助言は至極尤も、かつ実に理に適ったものだったのだが、氷河がその助言を実行に移すには非常に大きな障壁があった。
つまり、
「男のプライドにかけて、そんなことができるか!」
──である。

「おまえのプライドより、瞬の身体の方が大事だろう」
氷河の眼前に立ちはだかる巨大な障壁を、紫龍があっさり切って捨てる。

「…………」
紫龍の言う通りだった。
大事なのは、男のプライドではなく、瞬の身体の方である。
瞬の身を思うなら、氷河は紫龍のアドバイスを実行に移すしかなかった。
それは氷河にもわかっていた。
わかってはいたのだが──。

それでもためらいを消し去れずにいる氷河に、星矢が、半分真顔で尋ねてくる。
「瞬って、普通の女の子より面倒じゃないか? 色々と」
「俺は面倒なのが好きなんだ」

先日とは全く逆のことを言う氷河に、星矢は両の肩をすくめることしかできなかった。






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