これまでの十数年間がそうだったように、ヒョウガとシュンに許された1時間はあっという間に過ぎてしまいました。
これまでの十数年間そうしてきたように、カミュはヒョウガを氷の棺の中に閉じ込め、幾許かの憐憫を含んだ眼差しをシュンに投げてから、シュンにその場を立ち去るように促しました。

これまでシュンは、カミュに洞窟を出るように言われるといつも、後ろ髪引かれる思いで魔法の森をあとにしていました。
でも今回は――愛があればヒョウガを氷の棺から解放することができると知った今は――シュンは自分の力を試さずにはいられなかったのです。
「もう少しだけ、ここにいてもいいですか? もう少しだけヒョウガを見ていたいんです」

カミュはシュンの言葉を聞くと、一瞬間だけシュンを見詰め、無言で踵を返しました。
シュンは、カミュがその場を立ち去ると、氷の棺に閉じ込められているヒョウガと対峙しました。
そうです。
シュンは、魔法使いのカミュが作った氷の棺を自分の力で溶かす決意をしていたのです。

ひとつ大きな深呼吸をして、シュンは自らの決意を行動に移しました。
南の島でアルビオレに学んだ、ありとあらゆるものを温める魔法――。
その魔法の力に思いの丈を込めて、シュンはヒョウガが閉じ込められている氷の棺を温め始めたのです。

『シュン……?』
氷の棺の中にいるヒョウガは、すぐに異変に気付いたようでした。
目を閉じていても、シュンが何をしようとしているのかは、彼にもわかったのでしょう。

『やめろ、シュン』
氷の棺の中から、ヒョウガの声がシュンの心に直接響いてきます。
こんなことは初めてでした。
これまでは、ヒョウガが氷の棺に閉じ込められたが最後、ヒョウガの声はシュンに届かず、シュンの声がヒョウガに届くことはなかったのです。
これはきっと子供の頃よりもヒョウガへの自分の愛が強まったからなのだと思ったシュンは、ヒョウガに止められたことでかえって勇気が増し、いよいよ魔法の力を強めたのです。

『シュン、やめるんだ。カミュの凍気に、おまえがやられる!』
「ヒョウガ……」
『シュン、やめてくれっ』
「大丈夫。きっと僕がヒョウガを自由にしてあげる――」
氷の棺は確かに少しずつ溶け始めていました。
本当に少しだけ。
シュンは、カミュの魔法の力の強大さを、改めて思い知ることになったのです。

シュンがどれほど思いを込めても、カミュの作った氷の棺は表面がうっすらと濡れるだけで、そんな微々たる変化では、シュンが100年頑張り続けても氷の棺が消え去ることはないように思えました。
それくらい――カミュの凍気は強烈だったのです。
氷の棺に目に見えるほどの変化も与えられないまま、シュンの身体と意思の力はどんどん弱まっていきました。

『シュン、やめるんだ! おまえが俺のために死ぬことはない!』
シュンの心に響いてくるヒョウガの声はほとんど悲鳴でした。
そのヒョウガの声さえも、シュンは徐々に感じ取れなくなっていきます。


シュンはもう、自力でその場に立っていることができませんでした。
両膝から崩れ落ちるように その場に倒れ伏したシュンは、最期の力を振り絞って、ヒョウガの姿を瞳に写しとろうとしたのですが、シュンには既に自分の瞼を開ける力すら残っていなかったのです。
(やっぱり駄目だったのかな……。僕の気持ちは、カミュ先生の凍気には敵わなかったのかな……)

どんなに好きでも打ち崩せない力はあるのでしょう。
悲しいけれど、それは事実です。
シュンは子供の頃から、両親のいる家で兄と一緒に普通の子供のように暮らせたらいいのにと思っていました。
それが無理なら、同じ教会で暮らす仲間たちが寒さに震えることなく飢えることなく暮らしていけたらいいのにと思っていました。
人々がみんな優しい心だけで生きていけたらいいのにと望んでいました。
でも、それは叶わない夢だった。

そして今も――シュンの力はカミュの凍気に敵わなかったのです。

「シュン──っ !! 」
遠くで、気が狂ったようにシュンの名を叫ぶヒョウガの声が聞こえたような気がしました。






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