「──って、星矢が不思議がってるけど……。どうして氷河は急に大人になったの?」
一輝が沙織に挨拶をするために――というより、しばらく食事を一人分増やしてもらう要請をするために――席を外すと、瞬はさっそく氷河に尋ねてみたのである。

氷河が、自分の態度が、いわゆる“オトナ”のそれになっていることに初めて気付いたような顔になる。
それから、彼は溜め息を一つついた。
「あのな、瞬」

桜の季節が終わった城戸邸のラウンジの窓は庭に向かって大きく開け放たれている。
室内に入ってくる微風は暖かく、窓の向こうでは、城戸邸の庭に一本だけある染井吉野が緑色の葉でその身を飾っていた。

「一輝が突然、俺がそうするみたいに、息を荒げておまえにのしかかっていったとしてだな、おまえは俺にそうするみたいに大人しく脚を開くのか」
暖かくのどかな春の日の午後に、突然とんでもない例え話を持ち出された瞬は、突如 染井吉野の白い花が八重桜のそれに変わったように、頬を色づかせた。

「に……兄さんの前で、あんな恥ずかしい情けない格好ができるわけないでしょっ! 僕は、兄さんの弟らしく、あくまでも強く男らしく最後まで戦い抜──氷河、なに笑ってるの!」
「いや……」

瞬の怒声を軽く聞き流して、氷河がおもむろに、そして大袈裟に頷く。
「いいことだ。立派な決意だ。おまえはフェニックス一輝の弟で、当然、誰よりも男らしく強くあらねばならん」
「そうだよっ。当たり前じゃない!」
きっぱりと断言する瞬の態度は、実に“男らしい”。
氷河は込み上げてくる笑いを押し殺すのに必死だった。

その事実に気付いたから嫉妬する必要がなくなったのだと、説明を加えるのは蛇足になる。
だから氷河は、その件に関してはそれ以上言葉を重ねなかった。
一輝の前でそうありたいと瞬が望む瞬の姿と同じものを、氷河は望んでいなかった。
氷河が望む瞬は、そういう瞬ではなかったのである。

「俺はすぐに泣くおまえの方が好きだがな」
「氷河……」
怒気で強張らせていた両の肩から、瞬がすとんと力を抜く。
一輝なら決して言わない言葉を平気で口にする氷河を、気負いの消えた目で見詰めた瞬は、氷河もまたその青い瞳で瞬を見詰め返していることに気付くと、ゆっくりと瞼を伏せた。






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