「おまえは罪を犯してここに繋がれているわけじゃないらしいな」 金髪の異邦人は、自分がとんでもないことをしでかしてしまったという自覚がないらしい。 海獣の血で飾られた鉄の剣で、シュンの自由を奪っていた青銅の鎖を断ち切りながら そう言った彼の声は、ほとんど緊張感というものをたたえていなかった。 「神託が──ポセイドンの怒りを鎮めるためには、僕がティアマトの生け贄に──」 鎖で自由を奪われ 死にかけていた腕に、シュンの心臓が勢いよく血を運んでくる。 血が熱い。 シュンの思惟とも感覚ともいえないものが、シュンに血の熱さを伝えてくる。 シュンの思考は、眼前の状況を判断し分析することを半ば拒否していた。 「この国には腑抜けた男しかいないのか。あれは図体はでかいが、ただのウスノロだぞ。その気になれば、すぐに倒せたはずだ」 剣を腰の鞘に戻した異邦人は、深刻さの全くない声と表情で、言いたいことを言っている。 おそらく北の国からやってきた人間なのだろう。 彼が履いているサンダルは植物製のものではなく獣の皮をなめしたもの、短衣の素材も麻や綿ではないようだった。 エチオピアの民は、そういうものを身に着けることはほとんどない。 「こんなのがポセイドンの手先なはずがないだろう。日が暮れて、陸に帰ってきたただの化け物だ」 その化け物を、エチオピアの民は皆 恐れていたのだ。 この化け物に船を転覆させられて命を落とす漁師も、年に数人程度ではあったが、ないこともない。 シュンは、彼の言葉をほとんど聞いていなかった。 たった今何が起こったのか、無責任な異邦人が何をしてしまったのか、その結果、この国に何が起こるのか──考えようとしても、シュンの思考は乱れ、それは論理性を欠いた感情や不安をしか形作れない。 「ティアマトは海神ポセイドンが差し向けたもの……。神の怒りが……どうしよう……神の使いを倒してしまった……」 永らえた自らの命や、その命を救うための労をとった者に、シュンの心が全く向いていないことが、後先を考えずに海獣を倒してしまった英雄の気に入らなかったらしい。 不愉快そうな口調で、彼は、シュンにこういう場合に相応の対応を求めてきた。 「おまえは自分の命を助けてくれた者に、礼の一つも言わないのか」 が、シュンにとって、この現状は決して喜ばしいものではなかったのである。 「礼……って、神の使いを倒してしまったんですよ! これから更なる災厄がこの国を襲うかもしれないのに……!」 図体がでかいだけのただのウスノロでも、それは神が遣わしたものであり、神の意思の介在なしに倒されてはならないものである――そのはずだった。 しかし、金髪の異邦人は、そんな道理を全く意に介していないらしい。 神の怒りと報復に怯えて蒼白になっているシュンに、彼は、怖れた様子もなく無頓着に言ってのけた。 「どんな災厄に見舞われようと、生きていれば闘えるだろう」 「神を相手に !? 」 シュンは、噛みつくように、無責任この上ない英雄に怒鳴り返したのだが、彼はそれも軽く一蹴してしまった。 「生きるってのは、そういうことだろう?」 「…………」 あまりに軽く、しかしきっぱりと そう断言する男に、シュンは気勢をそがれてしまったのである。 怒りも不安も忘れ、シュンはただぽかんと彼を見詰めることしかできなかった。 そんなシュンに、彼が、その綺麗な顔に似つかわしいとは言えない、無礼な言葉を吐く。 「おまえ、こんなに可愛いのに、そんなこともわかっていない馬鹿なのか? 名前は」 名を尋ねられ、はっと我にかえったシュンは、一瞬ためらってから、今の自分の名を告げた。 「……アンドロメダ。この国の王女です」 「どうしてそんな すぐバレる嘘をつくんだ」 言うなり彼は、シュンの胸に手を伸ばしてきた。 触れられる前に、シュンはその手を叩き落したのだが、今更そんなことをしても、それは無意味なことだったろう。 シュンが唯一身に着けていた白い薄物は、波の飛沫で水気を帯びてシュンの肌に貼りついている。 そこに女性ならばあってしかるべきふくらみがないことは、確認するまでもない一目瞭然の事実だったのだ。 端正な面差しを皮肉に歪めてシュンを見おろしている男の顔から、シュンは視線を背けた。 そのタイミングで、これまでこの儀式を安全な場所で遠巻きに見守っていた者たちの動きが、シュンの視界に飛び込んでくる。 予定外のことが起きたことに、彼等も動揺しているらしい。 慌てたシュンは、傍若無人な金髪男の手をとって、彼を岩陰に引き込んだ。 「ちょ……ちょっとこっちに来て!」 「おい。俺はそういう趣味はないぞ。――が、まあ、おまえくらい綺麗なのが相手なら、試してみてもいいが――。うん、俺に異存はない」 「馬鹿言ってないで!」 こんな軽佻浮薄な男に、これほど重大な儀式を滅茶苦茶にされてしまったことが、シュンは腹立たしくてならなかった。 |