海沿いに広い国土を有するエチオピアを守護する神は海神ポセイドン──と、この国では昔から信じられていた。 大神ゼウスを祭る神殿に勝るとも劣らない数のポセイドン神殿が、エチオピア領内には存在している。 王女アンドロメダを海獣ティアマトの生け贄に捧げよというポセイドンの神託がくだったのが、今から10日前。 国を守護する海神からそのような神託がくだされた原因は、王女の母カシオペアが王女の美しさを海神の娘たちネーレイス以上と公言したため──ということだったが、そんなことを口にした事実はないというのが王妃の言い分だった。 しかし、一度くだされた神託は実現されなければならない。 実現されない神託は国の民に不安を与え、国王への不信を生む。 事実、それまでならば何ということのない自然現象とされていた些細な出来事や事件がすべて、神の神託が実現されていないため──王が、王女を生け贄として海獣に捧げていないため──と非難されるようになっていた。──つい昨日まで。 「アンドロメダ姫をとても大事に思っている国王夫妻は、そして、身代わりを立てることを思いついたんです」 シュンの説明を聞いた無責任な金髪の英雄は、不快の念を隠そうともせず、露骨に顔を歪めた。 「呆れた話だ。いざという時に命を懸けて国と国民を守るのが王族の務めだろう。エチオピアの国王は国民から税をとるしか能がない男なのか。おまえも そんな理不尽な命令を大人しく聞き入れるな。ここは、そんな我儘姫の代わりに命を捨てるのは嫌だと ごねるべきところだろう」 「アンドロメダ王女は我儘な姫君じゃありません。姫はご自分が生け贄になるつもりでいらっしゃるんです。だから……でも、その前に──この儀式を済ませてしまえば、姫が犠牲になる必要はなくなる。僕は望んで姫の身代わりに立ったんです」 「自ら望んで? おまえ、病気の父母でもいるのか? おまえの死後、その面倒を見るから心置きなく死ねとか何とか言われたんだろう。よくある話だ」 勝手に陳腐なストーリーを創作し始めた男に、シュンはもう苛立ちの念を隠さなかった。 人となりを知りもしない相手を勝手に我儘と決めつけるような人間など、そもそも尊敬できない。 「僕の家族は兄だけです。元気でいてくれるはずです。僕は僕が王女を救いたいから――」 「もしかして、おまえ、その王女とやらに惚れてるのか?」 「どうして話をそんな方向に飛躍させるんですかっ!」 大きな怒声を響かせてから、シュンは、自分がすっかり この無責任な異邦人のペースに乗せられてしまっていることに気付き、自らを落ち着かせるために大きく息を吸い、そして吐き出した。 「そんなことはどうでもいいんです! 問題は、ポセイドンの神託に従わなかったせいで、この国に神の報復が――」 「偽者のおまえがあのウスノロに食われていたとしても、神託に従ったことにはならないじゃないか。今 問題なのは、いもしない神の報復より、それを信じている人間の始末の方だろう。――が、まあ、大丈夫。俺がうまく小ずるい国王たちを丸め込んでやる。俺をエチオピアの王に引き合わせろ」 「え?」 「おまえにそっくりなオヒメサマとやらも見てみたいしな。おまえ、本当の名は?」 シュンがどれだけ頑張っても、彼のペースを乱すことはできないらしい。 小さく嘆息してから、シュンは自分の本当の名を名乗った。 「――シュンです」 「シュン?」 シュンが思い描いていた筋書きを無に帰してくれた男は、シュンの名を聞くと、一瞬奇妙な顔になった。 それから、 「そうか。俺はヒョウガだ」 と ぶっきらぼうに己れの名を名乗ると、彼は、国王夫妻や神官たちがギャラリーを形成している方へと、すたすた歩き出していた。 |