ヒョウガがエチオピア国王に要求したものは、その夜のうちにヒョウガに差し出された。 「陛下のご命令で参りました」 人目を避けるようにしてヒョウガのために用意された部屋を訪れたシュンの姿を見ても、ヒョウガはあまり喜んだ様子は見せなかった。 彼は、海に面した窓から入り込んでくる風に、その金髪を揺らしただけだった。 磨き込まれた花崗岩の床と絹の 他国からの貴賓のための豪奢な部屋に、だが、ヒョウガは実はあまり心地良さを覚えていなかった。 彼は、不必要な装飾を施されたものよりも、自然のままで美しいものの方が好きだった。――人も住居も。 「直接寝室に送り込んでくるとは実に気の利いた王様だ──と言いたいところだが、エチオピアの王は自分の娘以外の人間はどうなっても構わないと思っているのか」 「…………」 ヒョウガの非難に対して、夕刻にはあれほどアンドロメダ王女を庇っていたシュンからの弁護は一言もない。 エチオピア国王は、あまり国民に慕われている王ではないようだった。 ヒョウガとしても、自分の目に好人物と映らない人間を、臣下の義務で延々と弁護されるよりは 沈黙の方が好ましい。 国王への非難は早々に切りあげて、彼は、シュンの手を取り、偽の姫君を室内に招き入れた。 「本物のオヒメサマより、おまえの方が色が白くて華奢だな」 ヒョウガは事実を口にしただけのつもりだったのだが、シュンはそれを侮辱ととったらしい。 凍りついたような無表情を更に強張らせ、挑むような目で、彼はヒョウガを睨みつけた。 「あなたの目的は何です」 「さしあたっては、本物のオヒメサマより白くて華奢な偽者を 言うなりヒョウガはシュンを抱きすくめようとしたのだが、偽のオヒメサマは いっそ見事としか言いようのない素早さでヒョウガの両腕を払いのけ、逆にヒョウガの利き腕の手首を掴んで捩じあげようとしてきた。 ヒョウガがシュンの妙技から逃れることができたのは、ひとえにシュンに腕力が不足していたからだったろう。 ともあれ、その一瞬の攻防のあとに、利き腕の自由を失っていたのはシュンの方だった。 「命の恩人に随分と乱暴な振舞いをしてくれるもんだな。こんなことなら、鎖に繋がれている時にやっちまえばよかった」 実に楽しそうに極めて下品な言葉を吐き出したヒョウガを睨みつけるシュンの目は、だが、半ば以上が怒りよりも驚きに支配されていた。 シュンは、巨大なウスノロを倒したくらいのことで意気がっているような男に 自分が後れを取ることになる事態を想定していなかったのである。 「助けてくれなんて頼んだ覚えはありませんっ」 ヒョウガに投げつける声が、我知らず上擦る。 なにしろシュンは、これまで 権力以外の力に屈した経験がなかった。 アンドロメダ王女の父親という権力を持った男に 異国人の夜伽を命じられることよりも、その男に動きを封じられている現状の方がシュンには大きな屈辱だった。 「あの時、あのウスノロに食われていた方がよかったとでもいうのか」 「そのために、僕はアンドロメダ姫の身代わりに立ったんです!」 「そんな馬鹿げた考えは捨てることだな。あの手のウスノロは、食事の仕方が汚い上に、審美眼がない。おまえのその綺麗な上っ皮より軟らかい内臓の方が好きなんだ。想像してみろ、腹だけ食い散らかされて死んでいる自分の姿を。見られたもんじゃないぞ」 想像してみろと言われたものを想像して、シュンは気分が悪くなった。 そして、唇を噛みしめた。 |