「そういう事情なら、むしろ俺をパパと呼ぶのが筋じゃないか。なぜ瞬だけが『ママー』なんだ」
それまで瞬と老婦人のやりとりを無言で聞いていた氷河が、突然口を開く。
使えるはずの敬語を使わない氷河をたしなめようとした瞬は、氷河の視線が自分に向いているのを認めて、そうするのをやめた。
その無礼な言葉を自分に向けられた質問にするために、瞬が氷河に答える。

「タケルくんの思いやりなんじゃないの? 氷河がタケルくんくらいの子にパパなんて呼ばれたりしたら、僕、氷河と即絶交するから」
「俺が12の時のガキか。ばからしい」
「氷河ならやりかねない」
「阿呆! 俺に子供ができたら、たとえ12が10でも、俺は放っておいたりはしないぞ。ちゃんと自分の手で育てる」
「…………」

それが可能なことかそうでないかはともかくとして、父親の顔を知らない金髪の子供の断固とした主張に、瞬は息を飲んだ。
それから、身の置きどころをなくしたように、瞼を伏せる。
「うん……。ごめんなさい、悪い冗談言って」
相手を思い遣り尊敬する気持ちがなければ、言葉だけが丁寧でも無意味である。
尊敬し愛すべき相手に、自分こそが礼を失した態度をとってしまっていたことに気付いて、瞬は唇を噛みしめた。

老婦人は他人のプライベートを詮索するような女性ではないらしく、氷河と瞬のやりとりの説明を求めることも、説明を待つ素振りも見せなかった。
代わりに、二人を執り成すように、ほのかな微笑を浮かべる。

「私の息子はこんな華やかでお綺麗な顔はしてませんでしたから、さすがに氷河さんをパパと呼ぶのはためらわれたのでしょう。嫁は可愛らしい面立ちをしてましたけど、やっぱり瞬さんほどには……。他にもちょっとした仕草で重なるところがあったのかもしれませんね。子供は――見ていないようで見ているものですから」

だから、小学校にあがったばかりのあの少年は、自分の母親が違う姿をした人間に生まれ変わり自分の許に帰ってきたと 信じてしまったのだろうか――?
なれるものならそうなって母のない子を抱きしめてやりたいと、瞬は思った。
瞬は、そして、実際にその衝動に従おうとした。
――のだが。

「ですから、今のうちに、どうぞお帰りください。あの子が、我儘を言っておふたりを引きとめかねませんから」
瞬のその衝動を止めたのは、幼い子供の祖母の凛とした声と、
「瞬。アイスクリームの大食いは別の日にしよう。長く一緒にいるのはよくない」
母を失った子供の気持ちを思い知っている金髪の大きな子供の言葉だった。

二人の人間にそう言われ、二人がどういう考えでそう言うのかを理解した瞬は、自分は彼等の言葉に従うしかないのだと認めないわけにはいかなかった。
瞬は、彼の母親ではないのだ。
母親ごっこは、その ごっこ遊びが終わった時、子供に更に深い喪失感を抱かせることになるに違いない。

母親に再会できたと思い込んでいる子供は、まだ熱心にアイスクリームの棚を見詰めている。
彼が『1つだけ』のものを選ぶことに気を取られているうちに この場を立ち去ることが、彼のために瞬ができるいちばん良いことなのだ。

『ママはどこへ行ったのか』と彼は泣きはしないだろうかと懸念しながら、瞬はテーブルの席を立った。
瞬が氷河の横顔を見上げると、それは、瞬に胸苦しさを感じさせるほどの無表情を呈していた。






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