氷河が素晴らしい国王になるだろうことを、瞬は信じていました。 “女嫌い”という致命的な欠点さえなければ。 瞬はその欠点が気になって、ある日、氷河に尋ねてみたのです。 「氷河はどうして女嫌いなの」 「女嫌いなわけじゃない」 「でも、王子様なら、結婚してお世継ぎをもうけるのは大事なお務めでしょう? それを怠っているんだから……」 『女嫌いなわけじゃない』と氷河は言いますが、向こうから幾らでもやってくるお后候補の王女様たちを次から次に袖にしているというのは、どう考えても あまり自然なことではありません。 毎日氷河の入浴の世話をしているせいで、氷河に男性としての欠陥がないことも、瞬は知っていましたからね。 瞬は、氷河が女性に興味を持たないことが不思議でなりませんでした。 首をかしげる瞬の髪に指で触れながら、氷河が戯れ言を言います。 氷河は少し前から、自分と二人きりの時には瞬に椅子を使うことを許していました。 「別に王家の血にこだわらなくても、国なんてものは、有能で徳のある者が治めるのがいちばんだろう。それが国民のためにもなる。いっそ、おまえを俺の次の国王に指名してやろうか。おまえは利発だし、素直に他人の意見も聞くし、国民の生活の実態も知っているし、俺よりずっといい国を作りそうだ」 真顔でそんなことを言う氷河に、瞬は――瞬もまた、真顔で答えました。 「僕は氷河と違って、国を治めるための勉強なんてしてこなかった。氷河に意欲と理想があるのなら、子供の頃からそういう教育を受ける機会に恵まれてる分、やっぱり王家の人が王位を継ぐのが効率的だと、僕は思う。国民のためにならないことをする王様なら、王座から追い払われても仕方がないとは思うけど……」 立憲君主政──とまではいかないにしろ、瞬のこの考え方は、ほとんどの国が専制君主政を採用しているこの時代においては大変進歩的なものでした。 血よりも才能と主張する氷河の考えはもっと進歩的──というより、急進的なものでしたが。 ですが、北の国が今 抱えている問題はそんなことではありません。 問題は──意欲も理想も持っている有能な王位継承者が女嫌いだということなのです。 「そんな話でごまかさないで。今はそんなことじゃなく──」 瞬は氷河に食い下がり、氷河は食い下がる瞬に嘆息しました。 腰掛けていた布張りの椅子のアームレストに右の肘を置いて、しばらく眺めるように瞬を見詰めてから、氷河は再度口を開きました。 「一般的には……俺はマザコンで、亡くなった母を理想化しすぎ、母以上の女はいないと信じている――と思われているらしいが……」 「そうじゃないの?」 「完全に否定はしない。そうだった時もあったような気もする。だが、今は違う」 「今はどうなの?」 瞬は、ほとんど何も考えずに、氷河にそう尋ね返しました。 『今は違う』と言われたら、『どう違うのか』と尋ね返すのは、会話の必然の流れというものです。 氷河は、瞬が彼に仕えるようになってからも、一向に女性に興味を持つ様子を見せていませんでした。 氷河の“以前”と“今”は、瞬には全く変わっていないように見えていました。 だから、瞬は氷河にそう尋ねたのです。 瞬は、考えてもいなかったのです。 まさか、氷河の口から、 「今は、男か女かわからない相手に恋をしている」 ──そんな答えが返ってくることを。 氷河が何を言おうとしているのか、わからない振りをすることは不可能でした。 男か女かわからない相手──そんな人間は、氷河の周りには瞬しかいませんでしたから。 氷河は、あの青い瞳でじっと瞬を見詰めています。 瞬は、氷河のその眼差しが恐くて──ただ どうしようもなく恐くなって、その眼差しから逃げるために、掛けていた椅子から立ち上がりました。 「瞬!」 ちょうど向かい合わせに置かれた椅子に腰掛けていた氷河が、すぐに身を乗り出して、その場から逃げ出そうとした瞬の手首を掴まえます。 瞬はすぐにその手を振りほどこうとしました。 けれど、瞬がそうする前に響いてきた、まるで呻くように低く押し殺した氷河の声が、瞬の動きを止めました。 「逃げるな。おまえに許しをもらわない限り、何もしない。何も――求めない」 「氷河……」 それは、もしかしたら、“同じ人間”として瞬の人権を尊重した、氷河なりの思い遣りの言葉だったのかもしれません。 けれど、それは、瞬にはつらいだけの言葉でした。 こらえようと思うより先に、瞬の瞳から涙がこぼれ落ちます。 その涙を隠すために、瞬は顔を伏せようとしたのですが、なぜだか瞬の瞳と唇は瞬の意思に逆らって、すがりつくように氷河を見詰め、そして、訴えるように氷河に問いかけていました。 「僕、女の子だったらよかった? 僕が女の子だったら、そしたら氷河は……」 氷河は、瞬の涙を見て、涙ながらの訴えを聞いて──目をみはりました。 瞬が少年だということを知って落胆したからではありません。 氷河は、瞬も自分に好意を抱いてくれているということを知って嬉しかったのです。 生まれて初めて恋した相手に、『王子様なら、結婚してお世継ぎをもうけるのは大事なお務めでしょう?』なんて他人事のように言われたせいで、氷河は実は少なからず傷付いていました。 だから、鈍感な瞬を責めるように、氷河は自分の胸の内を瞬に知らせずにはいられなくなり、実際にそうしてしまったのです。 瞬が──瞬も、自分の心を押し殺して氷河の側にいたことを、氷河はそれまで全く気付かずにいました。 鈍感なのはお互いさまだったのです。 なにしろ、二人とも、これが初恋でしたから。 何はともあれ、生まれて初めて恋をした相手が、自分に対して同じ気持ちを抱いてくれていたなんて、こんな嬉しいことはありません。 「どっちでも、俺は構わない」 捉えていた瞬の手を離さずに椅子から立ち上がり、氷河は瞬を抱きしめました。 そして、瞬の頬と唇に、やさしくキスをしたのです。 |