だが、氷河は、奴に瞬を殺させたくなかった。
瞬はただ、世界の本当の姿が見えてないだけなんだ。
他の仲間たちも同じだ。
ただ見えていないだけで、無知なだけで――だが、それは罪じゃない。
この世界の醜さに憤る者たちが憎むべきなのは、世界の醜さを知っていて、その上で自分たちの都合を振りかざす卑怯な大人たちであるべきだと――それくらいの分別は、氷河にはまだ残っていた。

それに、どうこう言っても人は一人では生きていけないものだからな。
聖闘士になったからって、それで食っていけるわけでもない。
世界が見えていない瞬たちに混じって馬鹿の振りをしていれば、勝手な都合で氷河たちを聖闘士に仕立てあげた大人たちが生活の面倒をみてくれる。
瞬たちは、氷河にとっていい隠れ蓑だった。

おまけに――どういうわけか、人間っていうのは、絶対的な孤独の中に在るくらいなら、気に入らない奴等とでも一緒にいることを望むようにできている。
卑劣で卑怯な大人たちとつるむよりは、瞬たちと一緒にいる方がずっとマシというもんだ。

そうできないところが一輝の甘さだと、氷河は思った。
世界が見えるようになった一輝は、その世界に必死に抵抗し反発している。
世界のありようを利用しようと開き直ればいいのに、一輝はそれができない。
中途半端もいいところだ。
せっかく世界の本当の姿が見えるようになったっていうのに。

世の中には自分のことしか考えていない奴等ばかり、他人を利用して自分の利益と安全を図ろうとする奴等ばかりだ。
でも、そんな世界の中で、人は生きていかなきゃならない。
そして、その世界の中で、自分の目が見えてさえいれば、世界には卑劣な奴等ばかりがいるってことを知ってさえいれば、たとえ裏切られても利用されても平気でいられるし、逆にそういう奴等を利用することもできる。

そこまで達観できていない一輝はまだ馬鹿の領域に片足を置いている、ということだ。
中途半端な馬鹿はいちばん始末におえない。傍迷惑なんだ。
そんな奴に比べれば、害のない馬鹿の瞬の方がずっとましというもんだ。
だから氷河は、瞬を殺そうとする一輝の拳から瞬を庇ったんだ。
瞬が、中途半端に馬鹿な兄貴を、殺されかけても慕い続けていることも不愉快で――そう、不愉快だった。


瞬の兄が引き起こした馬鹿な騒ぎに一応の決着がついてから、世界の本当の姿が見えていない瞬は、氷河の本心を知らない瞬は、氷河が仲間の命を守るためにそうしたんだと思って、自分の兄を殺したも同然の男に、詫びと礼を言ってきた。






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