あれは20年前、あの肖像画が完成した直後のことだった――と、氷河は瞬に語り始めました。

氷河の母君はその美貌を多くの詩人に謳われるほどの美しさを持った女性でした。
戦で夫を亡くし、一人息子の氷河の成長だけを楽しみに、彼女はこの城で息子と共に暮らしていたのです。

そのお城に、ある日、真っ赤な唇をした美貌自慢の魔女が、氷河の母君と美しさを競うためにこの城にやってきました。
もともと病弱だった氷河の母君のお葬式の日に。
薔薇の花で埋められた棺の中に横たわる氷河の母君の顔を無遠慮に覗き込んだ美貌自慢の魔女は、この世で最も美しいのはやはり自分なのだと言って、悲しみに沈んでいた氷河の前で高笑いを響かせました。

氷河はその時、5歳になったばかり。
人の心を持たない魔女に向かって、棺の中で目を閉じて眠る自分の母の方が 高慢ちきな魔女よりずっと美しいと叫んだ氷河は、まさにその瞬間、怒り心頭に発した魔女に残酷な呪いをかけられてしまったのです。


「その下品な魔女は、俺に、信じた者に必ず裏切られるという呪いをかけた。その時から俺は誰も信じない人間になったんだ――ならざるを得なかった」
そう告げてから氷河は、もはやその冷たい美貌を隠そうともせずに、微かに自嘲しました。
「……呪いをかけられたのが母の死後でよかった」

それはそうでしょう。
幼い子供にとって、自分の母親を信じられないこと以上の不幸はありません。
けれど――最悪の事態は免れることができたのだとしても、その呪いが不幸なものであることに変わりはありませんでした。

「呪いを解く方法はないんですか」
「富でも美貌でもなく、俺自身を愛し信じてくれる人が現れれば、呪いは解けることになっている。まあ、この手の呪いのお決まりのパターンだな」
瞬に尋ねられたことに答えながら、氷河はますます自嘲の色を濃くしました。

「だが、もし、俺にそういう愛と信頼を誓う者が現れたとして、その愛と信頼が真実のものだと どうやって確かめられるんだ? 公爵家の財産や俺の美貌とやらに惹かれたのではないと、どうやって」
「捨ててみれば――」
その考えを言葉にしてしまってから、瞬は、自分がとても愚かなことを口走ってしまったことに気付きました。
氷河は、おそらくそれを試してみたのです。
たった今も、彼はそれを試していたのでしょう。

「捨てようとしたさ、幾度も。こうして顔を傷付け、富を捨てるために無一物でこの城を出たこともある。だが、身体に負わせた傷はすぐに治り、何も持たずに放浪していても、必ず富が向こうからこっちに転がり込んでくる。下品な魔女の呪いのおかけで、俺はいつでも美貌で金持ちの公爵様というわけだ」
自虐的な口調でそう告げた氷河は、それから、
「腕を切り落としてみたこともあるぞ」
と言って、唇の端を歪ませて笑いました。

鬼気迫る美貌というのは、こういうものを言うのでしょう。
皮肉で歪んだ彼の微笑を見て、瞬は背筋がぞっと寒くなってしまったのです。

ぞっとしながらも、瞬は、とても苦しく悲しい気持ちになりました。
たとえ醜くなっても、不具になっても、人に羨まれるほどの富を手放してでも、人は愛を欲し、信頼を求めるものなのだと、氷河はその皮肉な微笑の陰で訴えているのです。
だというのに氷河は、誰も信じず、誰にも信じられず、誰も愛さず、誰にも愛されずに生きていくしかない――生きていこうとしているのです。

こんな悲しいことがあるでしょうか。
瞬の瞳には涙がにじんできてしまいました。






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