その日、瞬は、箱いっぱいの宝石を持って、氷河の住むお城を出ました。
瞬が向かったのは北の町の外れにある貧しい教会。
そこで瞬は、運んできた宝石を神父様に差し出して言ったのです。
「この宝石は公爵様からのご寄進です。これで町のみんなにパンを買って分けてあげてください」

氷河が、裏切られることが恐くて領民に手を差し延べられないというのなら、氷河の代わりに自分がそれをしてやろうと、瞬は思ったのです。
驚き慌てる神父様にあれこれ訊かれる前に、瞬はお城に取って返しました。

氷河は――宝石を抱えて城を出ていった瞬が再び城に帰ってくるとは思っていなかったらしく、瞬の姿を見てひどく驚いたようでした。
「なぜ戻ってきた」
「なぜだかわからない」
当惑しているような氷河に、瞬は曖昧な答えを返しました。

氷河はもう、黒いフードで顔を隠すことをやめていました。
ですから、瞬には、彼の青い瞳が不安に揺れていることがわかりました。
再びこの城に戻ってきた瞬を信じたくなっている自分自身を、氷河は怖れているのです。
瞬は、氷河のために嘘を口にしました。
「あれっぽっちの宝石じゃ足りないから。僕は欲張りなんだ。もっと欲しいの。だから」

氷河がそれで安心したのかどうかはわかりません。
けれど、瞬のその嘘は、数日後に北の町の住人を代表して、氷河の許に礼を言いにきた神父様のせいで、すぐにばれてしまったのです。

神父様は、あの宝石で、昨年豊作だった他の国からたくさんの小麦を買い入れ、その麦でパンを焼き、町中の人たちにふるまったのだそうです。
北の町は、公爵の慈悲に感謝する者たちの声であふれているということでした。


「瞬……」
瞬が何をしたのかを、氷河はすぐに察したようでした。
彼が瞬を責めようとしたのか、あるいは感謝の言葉を口にしそうになったのかは、瞬にはわかりませんでした。
どちらにしても――瞬は氷河に何も言わせるつもりはなかったのです。

「信じたら裏切られる。でも、信じられたり感謝されたりするだけならいいでしょう?」
「俺は誰も信じない。誰も――おまえも――」
まるで自分自身に言いきかせるように呟く氷河に、瞬は頷き返しました。
「それでいいです。公爵様は誰も信じなくても。僕が勝手に公爵様を信じてるだけ」

氷河は誰も信じないと言い、だが瞬は、そんな氷河を勝手に信じると言う。
瞬のその言葉は、魔女に呪いをかけられていない者だからこそ言える言葉なのでしょうか。
氷河はそうではないような気がしてなりませんでした。

「信じて裏切られるのが恐いなら、信じなくていいです。公爵様でなくても、そんな人はいっぱいいる。傷付くのが恐くて、自分が傷付かないために誰も信じない人なんて、世の中には吐いて捨てるほどいます。特に、貧しくて飢えていると、人は自分のものを守るために疑い深くなるの。そういう人を僕はたくさん見てきた。僕は、だから、公爵様に信じてもらえなくても平気。公爵様はそのことで罪悪感を覚える必要もありません」

信じられなくても平気だという言葉は、氷河の胸を傷付けました。
それでも自分は信じるという瞬の言葉は、強い者にしか言えない言葉で、それは氷河を弱い者として甘やかし、また厳しく非難する言葉でもありました。
瞬には――そんなつもりはなかったのでしょうけれど。

「俺はただの臆病者か……」
氷河は呻くように呟いて、瞬の前で瞼を伏せたのです。






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