4000年の時を経て真実の恋に目覚めた氷河は、まるで初恋に戸惑う なにしろ瞬は、この手のことに全く免疫がないのだ。 星矢は本当は、『よりにもよってあんな面倒な相手はやめておけ』と、瞬に言いたかったのである。 だが、氷河は色気も自信も過剰の割りに誠意はあるようなので、それに免じて、星矢は、自分が瞬の意思決定に余計な関与をすることを避けていた。 いわゆる“武士の情け”というやつである。 もっとも、星矢の態度が二人の恋に協力的であろうが非協力的であろうが、財産が壺一つだけ――という男の恋が順調に進展するはずはなかったのだが。 「あの壺が壊れたら、氷河はどうなるの?」 「わからん。俺にかけられた呪いは消滅するのかもしれない」 「じゃあ……!」 「それと一緒に、俺も消滅することになるかもしれない」 「…………」 その上、氷河の身には不確定要素が多すぎた。 瞬にしても、まだ成人していない学生の身、自分のものと言えるのは己れの心身のみ という寄る辺のなさ。 4000年の時を越えた二人の恋において確かなものは、ただ二人の心だけだったのである。 この件に関しては不干渉を決め込んでいた星矢が、やがて二人に力を貸してやりたいと思うようになっていったのも、当然といえば当然、自然といえば自然な成り行きだった。 「おまえ、ご主人様の命令をやり遂げるまでは壺の中に戻れないんだろ? だったら、俺が、100年かかってもやり遂げられないような命令を出してやるよ。そうすりゃ、おまえはずっと壺の外にいられるわけだよな?」 しかし、事はそう簡単には運ばない。 氷河は星矢の有難い提案に、力無く首を振ることになった。 「俺はその100年の間、歳をとらない。死ぬこともない。俺は――瞬だけが歳を重ねて死んでいくのを見たくない。俺は瞬と一緒に……」 氷河には、持ち物が壺一つだけということ以外に、そういう問題があったのである。 古代エジプトのファラオたち、秦の始皇帝――古来から、現世の権力を手に入れた者たちが最後に望む永遠の命、不老不死。 だが、そんなものにどれほどの価値があるというのだろう。 不老不死を望んだ過去の権力者たちは、おそらく誰もが、真実の愛に出会えなかった不幸な者たちだったに違いない。 彼等は、大切な人と同じ時間の流れの中にあることが どれだけ幸福なことかを知らない孤独な者たちだったに違いない――。 氷河は、そう思った。 瞬の姿を見ていると、その綺麗な瞳を見詰め 見詰め返されると、自分は本当に瞬が好きなのだと、心から思う。 そして、氷河には、考えようによっては、これがアテナの壺から解放されるチャンスなのだということもわかっていた。 これが――自分が瞬に感じる思いこそが――アテナが言っていた“真実の恋”というものなのだということが、氷河にはわかっていた。 瞬との恋が破れれば、自分はアテナの呪縛から解放され自由を手に入れることができる。 だが、自由を手に入れられたとしても、瞬を失う。 それでは生きている甲斐がないではないか。 しかし、青銅の壺に囚われている限り、自分は歳もとれない。死ぬこともない。 確実に瞬は自分より先に死ぬ。 喜びのない自由、喜びのない人生、孤独な一生。 あるいは、永遠の束縛、真に成就することのない恋、永劫の無力感。 氷河が得られるものは、そのいずれかしかなく、瞬はおそらく、二人の恋が成就してもしなくても、友人のそんな虚しい人生を悲しむに違いない。 これは、人の心を軽んじた罰、自分以外の人間も心を持っているのだという至極単純なことに気付かずにいた罰なのだ――。 氷河は4000年の時を経た今 初めて、アテナの罰を当然と思い、そして、その残酷さに気付いた。 愛する者と共に時を重ね、泣いたり笑ったりしながら二人して生き、年老いていくことの、何という幸福。 思い描くだけで、それは夢のように美しい現実だった。 それこそが、本当に美しい“人生”というものである。 「氷河……?」 険しい顔でふいに黙り込んでしまった氷河の顔を、瞬が心配そうに覗き込む。 青銅の壺などではなく、この瞳の中で一生を過ごせたら、自分はどれほど幸福な人間になれるものかと、氷河はほとんど夢見心地で思った。 「瞬、好きだ」 「氷河……」 突然――実は初めての――告白をされて、瞬がぱっと頬を上気させる。 途端に夢の世界から現実の世界に引き戻された氷河は、慌てて、かなり無理のある引きつった笑いを自分の顔に貼りつけた。 「は……ははは。ちょっと言ってみたかっただけだ。冗談だ」 「氷河……」 瞬に無責任なことは言えないし、できない。 それは瞬に対する誠意から出た否定の言葉だったのだが、同時にそれは瞬を悲しませる言葉でもあった。 瞬が切なげに眉根を寄せ、そんな瞬の様子を見て、氷河も気まずげに瞬から視線を逸らす。 「……4000年越しの恋も大変だなー」 そんな二人の様子を眺めながら、星矢はしみじみと、だが、微妙に無責任な響きを含んだ口調でぼやいた。 それは、だが、星矢の二人に対する友情が浅薄なものだからなのではない。 彼等がこれからの時間をどう生きていくのかを決めるのは――決められるのは――彼等二人だけなのだということを、星矢は承知していたのだ。 |