二足目のサンダルを履きつぶしたところで、瞬は今度は金色の翼を持った楽園の番人に会った。
彼は瞬の不安な気持ちを聞くと、静かな微笑を浮かべて左右に首を振った。

「そんな心配は無用だろうな。河のこちら側とあちら側とでは、愛し方が異なるというだけのことだ。こちらの世界の住人はただ愛される存在だ。自然に、神に、世界に、求めなくても、努力しなくても、美しい翼を持っているというだけで、こちら側の世界の住人たちはすべてに愛されている。だが河の向こうの世界では、まず自分が愛さなければ、そして愛する者を幸福にするために努力をしなければ誰かに愛してもらうことはできない。どれほど努力をしても、同じだけの愛を返してもらえるとも限らないし、な」

「それなのに、氷河はなぜ――」
「なぜなのか――山葡萄の蔓のサンダルを二足も履きつぶした君なら、そろそろわかりかけているのではないか?」
金色の翼の番人は、銀色の翼の番人より物腰は丁寧で、言葉も穏やかだった。
そして、彼は瞬のしようとしていることを止めようとはしなかった。
瞬は三足目のサンダルを履いて、更に西に向かって歩き出した。

瞬が歩く河の岸は豊かな下草で緑色をしていたが、氷河が歩く河向こうの岸辺は、いつのまにか草1本生えていない荒野になっていた。
氷河が昔の彼の仲間よりもずっと苦しい旅を続けていることに、今になって瞬は気付いたのである。
その上彼は、彼より楽な旅をしている瞬の身を気遣い続けている――。
瞬は、自分が誰かに気遣われ守られていること――誰かに気遣われ守られるだけの存在であること――の重苦しさを生まれて初めて感じていた。
つらいならこの旅をやめてくれと、瞬は氷河に叫びたかった。

瞬はこれまでただの一度も、氷河に――あるいは、氷河以外の誰かにも――楽になってほしい、幸せになってほしいなどという考えを抱いたことがなかった。
翼を持つ者は皆 幸せで、瞬自身もまたそうだったので、そんなことは願うまでもないことだったのである。

氷河は幸せなのか、悲しくはないのか、つらくはないのか――そんな疑念を瞬が抱くようになったのは、氷河が彼の翼を捨てたあの時以降のことだった。
そして、誰かに楽になってほしい、つらいことはやめてほしい、幸福でいてほしい――と願うのは、これが初めてのことだった。

河の向こう岸にいる氷河は、瞬の目には、やはり幸せでいるようには映らなかった。
誰に強要されたのでもなく、彼は彼自身の意思でそれを選んで向こうの世界に行ったはずなのに。
彼はそれを望み、自らの望みを叶えた者であるはずなのに。

氷河が幸せに見えないのは、彼がただひとりきりでそこにいるから――のような気がした。
彼は広い河の向こう岸で、言葉の通じない瞬を無言でただ見詰めている。
その眼差しを感じるたびに、瞬は胸が苦しくなった。

『河の向こうの世界で何かを得ようと思ったら、あちらの世界の住人は まず種を植えるところから始めるんだ。あちらでは強い風や激しい雨のせいで、せっかく植えた種が実を結ばないこともある。だが、努力と運によっては、こちらの世界で実る果実よりも甘い果実を手に入れられることもある』
金色の翼の番人が教えてくれたことを思い出しながら、瞬は痛む胸を抑えて、河の向こうにいる氷河の上に再び視線を転じた。
苦しくなることがわかっているのに、氷河の姿を見ずにはいられない。
瞬は、自分が氷河と同じように矛盾をはらんだことをしているような気がした。
そして、思ったのである。

氷河と種を植えて、その種が育つのを二人で見守ることは、こちら側の世界で自然に存在するものをただ安穏と受け入れることよりも楽しいことなのではないか、と。
氷河と共にいられるのなら、嵐が実りを妨げることがあっても挫けず、もう一度植えてみようと思うこともできるような気がする。
氷河のいない世界に神が置いてくれるだけの果実――は、本当は少しもおいしいものではないのではないか、とも。

足許にある野いちごの実を一粒つまんで、瞬はそれを口中に入れてみた。
この旅に出たばかりの時には甘く感じられていた赤い実が、今は苦く感じられる。
この世界の果物をそんなふうに感じたことは、これまで一度もなかったのに――。

「氷河……」
瞬の手足は、こちらの世界の住人にはありえないほどに傷だらけになっていた。
そして、いつのまにか瞬の翼は白く大きくなっていた。
その翼で自らの身体を包み、向こう岸にいる氷河の視線を感じながら、瞬はひとりで眠りについた。






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