おおよその事情がわかった今でも、氷河が何に腹を立てているのかが、瞬には やはりわからないままだった。 まさか彼を差し置いて瞬に映画出演の依頼がきたことを、氷河がひがんでいるはずもない。 映画に限らずその手の誘いは、これまでに幾度も氷河の許に持ち込まれていた。 だが、氷河はそれらをすべて興味なさそうに無視し続けていたのだから。 「僕、映画に出ちゃ駄目?」 部屋に戻り、二人きりになっても、相変わらず口をきこうとしない氷河に向かって、瞬は勇気を振り絞って尋ねてみたのである。 瞬は、さほど真剣にそれを望んでいたわけではなかった。 いつまでも不愉快そうな面持ちで黙り込んでいる氷河に何かを言ってほしいという望みが、今の瞬の中にある気持ちの中でいちばん強いものだった。 それだけでもなかった――のではあるが。 「何を馬鹿なことを言っている。おまえはアテナの聖闘士なんだぞ。確かに、最近は聖闘士としての力を発揮する機会はほとんどないが」 氷河がこの話に反対でいることだけは、瞬にもわかっていた。 予想通りの答えが、即座に氷河の口から告げられる。 王様に逆らうことなど思いもよらない。 そんなことをして、彼に嫌われてしまいたくもない。 瞬はもちろん、氷河のその答えを自分の答えにするつもりだった。 そのつもりだったのだが。 しかし、次の瞬間に、瞬の唇は、瞬自身も考えていなかったはずのことを氷河に訴え始めたのである。 「も……もちろん、敵の来襲があったら、何を捨ててもみんなのいるところに駆けつけるけど、だって僕、今だって何もしていないようなものだし、グラードの新しい会社の役に立てたら、沙織さんも喜んでくれると思うし、やり遂げられたら僕も――僕、もう少し氷河に釣り合えるような僕になれるんじゃないかと思うんだ。今の僕は氷河のおまけみたいで、氷河にも鬱陶しいだけでしょう……?」 否定の言葉を期待していなかったと言えば、嘘になる。 瞬には、だが、もし氷河に期待通りの言葉を与えてもらえたとしても、それは何の慰めにもならないこともわかっていた。 そして、瞬が氷河からもらうことのできた言葉は、瞬が想像していたどれとも違って、ひどく思いがけないものだった。 氷河はふいに瞬を抱きしめて、低く呻くような声で瞬に告げたのである。 「 「氷河……?」 「おまえは――あの訛りのきつい監督も言っていただろう。おまえは綺麗なんだ。俺よりもずっと。誰よりもいちばん。おまえ、自分の目を見たことがあるか。澄んでいるのに深くて、本当に吸い込まれそうになる。わかる奴にはわかる。おまえは外見だけを飾り立てたカラスの俺とは違って――本当に綺麗な人間なんだ」 「……なに言ってるの。氷河はカラスなんかじゃなくて白鳥でしょ」 だから殊更高価な服で飾り立てる必要はないのに――と思っていたのも事実である。 いずれにしても瞬には、氷河がイソップの寓話のカラスのように虚飾に彩られたものだという意見には賛同できなかった。 しかし、当の氷河は、それを動かし難い事実と思っているらしい。 「できるなら、俺だけが開けられる籠の中にでも閉じ込めておきたいが、そうすることもできない。だから、人の目がおまえではなく俺に向くように馬鹿な真似もしてみたが――結局は無駄な努力だったな……」 「氷河、ほんとに何言ってるの……」 瞬にはそれは質の悪い冗談としか思えなかった。 イソップ寓話のカラスのように自分を飾ろうとする勇気さえ持てないミソサザイに、氷河は何を言っているのかと、瞬はそう思ったのである。 「もし氷河が本気でそんな錯覚をしてるんだとしても、それはきっと氷河が僕の仲間だから……贔屓目っていうんだよ」 「そうだったら、どれほどいいか……」 苛立ちを無理に抑えた口調でそう言い、氷河は彼自身の身体の重みで、瞬の身体をベッドの上に押しつけた。 瞬が身に着けているものを乱暴に引き剥ぐ男を、不安そうな色をした大きな瞳が見あげている。 この目が綺麗なのがいけないのなら、いっそ潰してしまいたいと、氷河は思った。 なめらかで白い肌が瞬を美しく見せているのなら、それを焼いてしまいたいと思う。 おずおずと、虚飾の色をした髪に絡んでくる瞬の指を愛しいと思うほどに、その細く熱い指を噛み切ってしまいたい衝動にかられる。 人の目と心を惹きつける瞬のすべての要因を、瞬の上から奪ってしまうことができたなら、自分はどれほど心穏やかでいられることかと、氷河はいつも思っていた。 だが、瞬の美しさの源はそんなものではないような気もする――のだ。 そして、それが何なのかがわからない。 それは瞬の身体のどこかに存在するはずのもので、だが、どれほど奥深くまで探しても、氷河はそれを見付ることができなかった。 「あっ……あ、氷河……っ」 他ならぬ自分の胸の下で喘いでいる瞬の唇を見おろしている その時にも、瞬が人の心を惑わし狂わせる力を持っていることに、氷河は苛立った。 瞬が悲鳴をあげずにいられなくなるほど激しく幾度も攻め立てて、瞬に気を失わせる。 意識のない時の瞬だけは自分のものだと思い、力の失われた瞬の身体を抱きしめ、繰り返しその中を蹂躙する。 そんなことをしてしまう自分自身に、氷河は憤っていた。 そして、そんなことをせずにいられない自分自身が、氷河はみじめに感じられてならなかった。 |