氷河が瞬に拾われ、この家にやってきて間もなく1年になる。 氷河の母は、氷河を産んだことで、その力をほとんど使い果たしてしまった――氷河には兄弟がいたようなのだが、彼等は氷河ほどの生命力に恵まれなかったらしい。 もともと何かの病気を得ていたのだろう。 氷河は、生まれたその時からずっと、力なく横になっている母親の姿をしか見たことがなかった。 氷河の母を養っていた人間は、氷河の母の命の長くないことを知り、その最期を見たくないと思ったのか、氷河の母親を、生まれたばかりで成長も危ぶまれる氷河共々、不吉な白いとある建物に連れていった。 建物の中に入る前から、氷河の耳には悲しげな同胞の叫びが聞こえてきていた。 それまでケージの中でぐったりしていた母が、弱々しい息の下から、突然氷河に問いかけてくる。 「走れるわね?」 まだ名前もついていなかった氷河に、彼女はそう言ったのだった。 氷河と氷河の母親が閉じ込められていたケージの蓋が少しだけ開けられる。 「今よ、早く、逃げなさい! 全速力で、あの門の向こうへ!」 氷河が初めて聞く険しい母の声。 氷河は、母親に鼻先で身体をケージの外に押しやられた。 ケージを車から下ろそうとしていた人間が氷河を捕まえようとしたが、どこにそんな力があったのか、氷河の母は昨日までの彼女の主人に体当たりをした。 母の言葉に従い、氷河は訳もわからず、一心に駆けた。 あとから母もついてくるのだと信じて。 駆けて駆けて、もうこれ以上は走れないというところまで駆けて、氷河は後ろを振り返った。 そして、氷河は、自分がたった一人で見知らぬ世界に放り出されたことを知ったのである。 生まれて間もない氷河に餌を手に入れる方法などわかるはずがない。 飢えて、雨と泥に汚れ 死にかけていたところを、氷河は瞬に拾われたのである。 瞬は氷河に優しくしてくれた。 冷え切った身体を温め、ミルクと眠る場所を与え、なにより優しい手で氷河を抱きしめてくれた。 氷河は、瞬が好きで好きでならなかった。 瞬が氷河のすべてだった。 |