「ごめんなさい……優しくしてくれて、ありがとう」 潤んだ瞬の瞳に映る氷河は、人間の姿をした氷河だった。 氷河は戸惑い、そして、この現象を訝った。 いったい誰が幸せになったというのだろう? ――と、氷河は、瞬と同じ形をした自分の手を見詰めながら考えた。 救急車で運ばれていったあの男のはずはなかった。 あの男の意識は当分戻らないはずである。 そして“幸福”というものは心で感じるもの。 眠っている人間は、自分の幸不幸を意識しない。 では、いったい誰が幸せになったというのだろう? そこにいるのは、氷河と瞬、ただふたりだけだった。 否、もう一人だけ、氷河と瞬以外のものがその場にいた。 瞬の肩の向こう、公園の端にある葉の落ちたプラタナスの下に、あの長い髪の女性――1年前、己れの無力に歯軋りしていた氷河の前に現れたあの女性が立っていた。 氷河と同じ色の髪と 氷河と同じ色の瞳をした、白い幻のような女性が。 「マーマ……」 彼女をなぜ ただ彼女の眼差しが、我が子の幸福を必死に願っていた母の最期の眼差しに似ているような気がして、その言葉は 氷河の口をついて自然に洩れ出てきた。 氷河の声は彼女に届いたのかどうか――。 氷河が瞬きをした時、その次の瞬間、彼女は温かい微笑の印象だけを残し、幻のように消えてしまっていた。 『氷河、幸せになって』 もう二度と会うことはないのだろう彼女の声が、氷河には確かに聞こえた。 |