瞬の様子を怪訝に思ったらしい氷河が、反転させた身体を瞬に重ね、その顔を覗き込んでくる。
氷河の怒りが恐くて、瞬は彼の視線を避けるように僅かに顔を横に向けた。
氷河が唇に唇を重ね、そのキスを深くすることで、瞬を仰向かせる。
長いキスのあとで瞬が恐る恐る目を開けると、そこには瞬が恐れていたものはなく、代わりに軽い笑みを帯びた氷河の青い瞳があった。

「夕べ、したりなかったのか」
眼差しだけでなく口調にも笑いを含んで、彼は瞬に尋ねてきた。
「え?」
「そういえば、おまえは死ぬ・・とかいく・・とかいう類のことを言ったことがないな」
「それは女の人が言う言葉でしょう」
「女よりイクくせに」
「氷河っ」

瞬の右の手首は、先回りした氷河に押さえられていた。
この体勢で本気で氷河をぶとうと思っていたわけでもなかった瞬は、非難めいた口調で彼の名を呼び、そして頬を上気させることしかできなかった。

それは妙な性癖だと、瞬自身が思っていた。
氷河との接合が気を失いそうになるほど心地良いものであることを否定はしないが、自分はあまりにもその状態に至りやすすぎるのではないかと。

恍惚(エクスタシス)という言葉は、本来、この世から外に出て(ex)、立っている状態(stasis)を示すものだという。
つまりは“死”、である。
そうなることを望んでいるから、自分は“死”に至りやすいのではないかと、瞬はそれが不安でならなかった。

「どうして僕はそうなっちゃうのかな」
ぽつりと、納得できるほどの答えは期待せずに、瞬は呟いた。
瞬の瞼や頬の上をなぞる氷河の唇は、微笑の形を作っている。
その唇は、瞬の不安を知らぬげに、自らの遊戯を楽しんでいるようだった。

「それはまあ、もともと俺が気が遠くなりそうなほど いい男な上に、高度なテクニックの持ち主で、おまえを――」
そこまで言ってから、氷河は瞬の暗い表情に気付いたらしい。
氷河は彼のジョークを最後まで言うのをやめた。
それから にわかに真顔になって――まだ少し微笑は残っていたが――氷河が囁くように言う。
「俺とおまえのこれは、生物学的な行為じゃなくて、哲学的行為だぞ」
「え?」
「俺たちは、生きて愛することの意味を探求しているんだ。おまえがイきやすいのは、多分、勉強熱心すぎるからだな。生きることにも愛することにも」

氷河はいったい ふざけているのか本気なのか――。
瞬は最近とみに 氷河の気持ちが捉えられなくなっている自分に気付いていた。
以前は――少なくとも、自分が氷河に恋をしていると自覚する前は――氷河ほど、その感情の動きを把握しやすい人間はいないと思っていたのに。

氷河が優しいことも、彼がいつも自分を見ていてくれることも、彼に愛し求められていることも、それは疑いようのない事実だった――それを疑ったことはない。
疑っていたら、そもそも彼の前にこんなふうに無防備な姿をさらけだそうとは思わない。
しかし、以前より近しい関係になればなるほど、氷河が自分から遠い存在になっていくように感じられるのもまた、瞬にとっては確かな事実だった。
遠くに――ずっと先に、氷河は一人で行ってしまい、自分は今いる場所から動けずに、彼に置いていかれる。
そんな気がしてならないのだ。

笑う気になれなかったので笑わずに、瞬は氷河に問い返した。
「生きることに?」
自分の内にある不安と正反対のことを氷河に言われ、瞬は戸惑ってもいた。
氷河が、そんな瞬に軽く頷く。
「そう。おまえは誰よりも強く生きたがってる。その度が強すぎるんだ。いいことだ」
「…………」
そうなのかもしれない。
そうであってほしいと、瞬は、氷河の青い瞳を見上げ、見詰め、思ったのである。

「うん……。僕は生きていたいよ」
自分に言い聞かせるように、瞬は呟いた。






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