「さあ、言え。生死を懸けた闘いを共にしてきたおまえの仲間たちが、親身になって相談にのってやる。あれだろ? 恋の悩みってやつだろ? 俺の大得意中の得意だぜ!」
たとえ某島国の汚職議員でも、これほど嘘くさい開会宣言を為すことは不可能であるに違いない。
やはり言うべきではなかったと、氷河はもう一度 己れの軽率を悔いたのだった。

が、こうなってしまったら、星矢はあとには引かないだろう。
一見大陸的に飄々ひょうひょうとした風情の紫龍も、意外に執念深いところがある。
星矢一人だけならともかく、そこに紫龍までが加わったとなれば、適当な嘘で茶を濁すことも、もはや不可能であるように氷河には思われた。
かくして氷河は、この世で最も信用ならない二人の仲間に、彼の“恋の悩み”を打ち明けることになってしまったのである。

「瞬が――」
それでも幾許かの躊躇を覚えつつ、氷河は渋々口を開いた。
「瞬が?」
「俺が初めてじゃなかったんだ」
「は……?」

身を乗り出すように――もとい、実際に身を乗り出して、ほとんど氷河に詰め寄らんばかりの体勢でいた星矢は、氷河の口から飛び出てきた想定外の“恋の悩み”に、たっぷり1分間以上呆けてしまったのである。
なにしろ星矢は、氷河を憂いに沈ませている彼の悩みは、『氷河の過剰性欲に音をあげた瞬による性交拒否』に違いないと決めつけていたのだから。

長い空白時間のあと、なんとか我にかえり、氷河の“悩み”の内容を咀嚼してみる。
『初めてではない』とは、どう考えても、つまり、要するに、アノ事以外には考えられなかった。
こういう場合、『そんなことを気にするなんて度量の狭い奴だな』と笑い飛ばすのが、常識的対応だろうと、星矢は思ったのである。
実際にそうしていただろう。
氷河の相手が瞬以外の誰かだったなら。
が、氷河の相手は、他の誰でもない、あの・・瞬である。
他にはいない。
そして、瞬が他の誰と既にそういう経験を済ませていた――ということが、星矢はまず信じられなかったのだ。
『この世で最も清らか』をキャッチフレーズにしている瞬が、氷河とそういうことになっただけでも、星矢は十分に奇跡だと思っていた。

「瞬がそう言ったのか?」
一応、訊いてみる。
答えは、氷河ではなく紫龍から返ってきた。
「瞬に限ってそんなことはないだろう。というか、無理だ。ほんの子供の頃に修行に出されて、日本に帰ってきてからはずっと闘いの連続だったんだぞ。その間、一輝は好き勝手に暴れまくったあげくに死んだ振りをしでかすわ、生き返ったかと思うと どこぞに姿をくらますわで心配のし通し、とどめがハーデスの憑依騒ぎだ。そんなことをしている余裕も、そんな相手を作っている時間も、瞬にはなかった」

氷河と瞬がそういうことになったのも、闘いと闘いの間のほんの短い時間を有効利用してのことだったはずである。
それは、いつも近くにいた仲間だったからこそ可能な、いわゆる職場恋愛のようなものだった。
それでも、よくそんな時間を見つけたものだと、星矢と紫龍は氷河のマメさと勤勉さに感心していたくらいなのだ。

「瞬に、そんなやましい気持ち満載で三下が近寄っていったら、速攻でぶっ飛ばされ――いや、なにしろ瞬は鉄壁の防御を誇るアテナの聖闘士だからな」
人を傷付けるのが嫌いだと明言している瞬の立場を考慮して、星矢は途中で言葉を選び直した。
が、何にしても、攻撃は最大の防御である。
なまじな人間には、瞬に言い寄ることさえ不可能――なはずだった。

「案外、瞬の修行地がそもそも いかがわしかったのかもしれないぞ。瞬の修行地には、怪しい風体の同輩がうようよしていたらしいし、瞬の師もかなりの美形だったと聞いている」
「あ、瞬が鉄壁の防御力を身につける前にってことか? でも、瞬って、かなり早い時期から小宇宙に目覚めてたっていうじゃん。それ以前となったら、幼児趣味の範疇に入って、犯罪になっちまうだろ。アンドロメダ島に警察があったとは思えねーけど。――つーか、瞬の“初めて”の相手って男なのかよ? それとも女?」
そういう疑念が湧いてくるあたりが、瞬の特異なところである。
が、星矢にしてみれば、それはまず最初に考慮しなければならない当然の疑問だったのだ。
それによって、氷河の悩みの質も違ってくる。

「相手の性別がどちらかということはともかくだ。瞬はあれでも一応 男なわけだからな。それが初めての行為だったのか否かについては、瞬の自己申告に頼るしかない。瞬が告白したのでないなら、結局のところ真実は藪の中だろう」
紫龍は、星矢にも増して慎重である。
まず、氷河が囚われている疑惑が事実誤認による誤解である可能性の判定作業から、彼は取りかかろうとした。

しかし、氷河にとってそれは、既に十二分に考え尽くして――幾度も否定しながら辿り着いた、認めたくない結論だったのだ。






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