「それくらい、言われなくてもわかる。始めのうちは少しおどおどしていたようだったが、ベッドに入った時にはもう瞬には緊張感のかけらもなくて、場馴れしているふうで、俺が何をしようとしてるのか見透かしているみたいに身体は動くし、こっちが面食らうくらい反応が的確で――瞬は、自分が気持ちよくなる方法を熟知しているのだとしか思えなかった。しかも瞬は、何もかもがそんなにスムーズに進むことを不自然なことだと思っている様子もなかった。瞬はごく自然に それをやってのけたんだ。最初の夜からだぞ」

「つまり、あるのは状況証拠だけ。瞬の自己申告もなく、すべてはおまえの憶測にすぎないわけだ」
恋する男の熟考に、どれほど信がおけるだろう。
紫龍は氷河の見解の確実性をあっさりと却下した。
そこに、星矢が口を挟んでくる。
「でもさー。氷河の推察が当たってたとして、それってそんなに重要なことか? 瞬の記憶をリセットしたいくらいに? 今の瞬は、信じ難いことだけど、おまえにべた惚れてるみたいだし、別にコトの最中に他の男の名前を呼ばれたわけでも何でもないんだろ」

問題になっている人物が瞬だから意外に感じるのであって、そんなことは世間ではよくあることである。
そういう仲になった相手が全くの初心者であることを期待することの方が 基本的に間違っているし、それが期待通りでなかったからどうだというのだろう。
最初の一手から教え込む手間が省けて楽が・・できる・・・と考えれば、それはむしろ歓迎すべき事態なのではないだろうか。
この手のことに関しては“面倒”が嫌いな星矢は、ごく自然かつ合理的に そう考えた。
星矢の合理主義に、紫龍が訳知り顔で水を差してくる。

「いや、こういうことは非常に微妙かつ深刻な問題だぞ。昨今はそうでもないが、特に男尊女卑が甚だしかった時代や国において、長い間 処女性が重視されてきたのは、そこに男の沽券や自尊心に関わる問題が生じるからだ。妻がそういうことに関して未経験者であれば、夫は、妻の過去の男と張り合う必要がなくなる。妻の性的未熟からくる不都合と、過去の男に比較される不安の二つを天秤にかけて、世の男共は前者の方がまだましと思ったわけだ」

「不安……って、自分に自信がないってことか? 瞬の昔の男より自分のがお粗末なんじゃないかとか、へたくそなんじゃないかとか、大して惚れられていないんじゃないかとか、氷河はそーゆーことにびくついてるわけ? のわりに、氷河、やりまくりじゃん」
「それは、瞬の過去の男を否定したいからだろう」
あっさりと、紫龍が言い切る。
いつのまにか、瞬の“初めて”の相手は男性ということになってしまっていた。

「勝手な憶測で盛り上がるな!」
さすがにここまで当事者を無視して話を進められると、本気で悩み相談を持ちかけたわけではなかった氷河も、いい加減腹が立ってくる。
星矢と紫龍を頭から怒鳴りつけ、怒り心頭に発したていで、氷河は彼の身体をソファに深く沈めた。
だが、本当は――紫龍たちの言う通りなのかもしれないという思いこそが、彼を苛立たせていたのである。

あっという間に氷河の愛撫に馴染んでしまった瞬の肌。
瞬が氷河の愛撫に戸惑いのようなものを示したのは、本当に最初の数秒間だけだった。
次に触れた時にはもう、瞬の肌は愛撫されることに慣れきった者のそれのように、氷河の指に絡みつき、まとわりついてきた。
そして、更なる愛撫を無言でねだってくる。

たとえば、1、2年間も二人の夜を重ね続けたら至ることができるのではないかというような場所に、一足飛びに連れていかれたような――初めて瞬を抱きしめた夜に、氷河は、そんな錯覚を覚えたのだった。
肌の感触だけでなく、その唇から洩れる甘い喘ぎ、その所作の一つ一つ、氷河を受けとめた時の歓喜の声。
瞬は、何もかもすべてが鮮やかに過ぎ、完璧に過ぎた。
だからこそ、氷河は、瞬をそこまで仕込んだ人物に敗北感のようなものを感じざるを得なかったのである。
自分が瞬を喘がせているのではなく、他の誰かに教え込まれたことを、瞬は新しい相手の前で繰り返しているだけなのではないかとまで、氷河は思ったのだ。

「瞬がおまえじゃ物足りないとでも言ったのかよ?」
星矢が、初めて真顔になって、氷河に尋ねてくる。
瞬がそんなことを言うはずがないことを確信している声だった。

もちろん、瞬はそんなことは言わない。
現状はむしろ、瞬が『もうやめてくれ』と悲鳴をあげない方がおかしいくらいなのだ。
だというのに、瞬はなぜそうしないのだろう――?
氷河にはわからないことばかりだった。






【next】