「星矢。お昼 済ませたばかりのとこ悪いけど、夕食と年越しそばをどうしたいか聞いてきてって、厨房の調理師さんが――」
星矢の恋愛相談が 氷河の予想通りに頓挫したところに、ちょうどやってきたのは瞬だった。
瞬は、その場に氷河がいることを予期していなかったらしい。
センターテーブルを挟んで星矢の真向かいのソファに金色の髪をした男の姿があることに気付くなり、瞬は言葉を途切らせた。

途端に氷河が、かつてどんな強大な敵に対峙した時にも見せたことがないほど鋭い視線を、瞬に向ける。
瞬が身体を震わせるのも当然に思えるほど――それは、氷が燃えているような眼差しだった。
視線で人を殺すことは本当に可能なのかもしれないとまで、星矢は思ったのである。
世に流布されている女の嫉妬の恐ろしさなど、男の嫉妬の激しさに比べたらどれほどのものだろう。
内心で冷や汗をかきつつ、星矢はかなりの無理をして、ぎこちなく笑い顔を作った。

「晩飯と蕎麦は別。もちろん、俺は両方食うぜ〜」
いつも通りに能天気に口にしたつもりの声が、不自然に上ずっていることは星矢自身にもわかっていた。
が、彼はそんな無理をする必要はなかったのである。
星矢がわざとらしいほど彼らしいそのセリフを吐いた時にはもう、そんな日常には何の意味もないと言わんばかりに険しい顔をして 掛けていた椅子から立ち上がった氷河が、瞬の手首を掴みあげていた。
氷河の目には既に、星矢の姿も紫龍の姿も映っていない。
彼の青い瞳が映しているのは、今の氷河と並ぶと実際よりはるかに小さく弱々しげに感じられる瞬の姿だけだった。
星矢には、そう見えた。

「来い」
「あ……」
『どこへ?』と尋ねるまでもなく、瞬は氷河の“用件”を承知しているようだった。
氷河の憤激は、昼間だからやわらぐということはないのだ。

「あの、でも……」
氷河とは違って、その場にいる二人の仲間の姿が、瞬の目には見えているらしい。
ほとんど懇願するような様子で氷河を見あげた瞬の顔と瞳は、だが、
「なんだ」
仲間の存在など意識の外に追いやってしまっているような氷河の低い声のせいで、力なく伏せられることになってしまったのである。
「あ……ううん……。なんでもない」
「――」

嫌なら嫌とはっきり言えばいいのに――と、氷河は思ったのである。
実は、星矢も、そして紫龍も、そう思っていた。
氷河の話を聞いていなかったら、あるいは聞いたあとであるが故になおさら、瞬は怯えているようにしか見えない。
そして、どう考えても、氷河をその行為に駆り立てているものは、瞬への好意や愛情ではなく、氷河自身の欲望や 楽しみを求める心のためでもなく、ただただ 瞬の過去を否定したいという抑えのきかない衝動である。

今の瞬が氷河を好きでいるのなら 他に何を望むことあるのだと、星矢は言葉にはせずに氷河をなじらずにいられなかった。
星矢がそれを言葉にしてしまわなかったのは、ひとえに瞬の気持ちと立場をおもんぱかってのことだった。
氷河の“恋の悩み”は彼自身の性欲過多の処置に違いないと決めつけていた星矢は、予想外のこの事態に、もはや 場の雰囲気を和らげるためのジョークの一つも思いつかなかった。






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