「今かぐや――現代のかぐや姫だと?」 『かぐや姫に会いたくはないか』と星矢に真顔で言われた氷河は、身に着けていた藤色の直衣の袖を大仰に振って、目一杯呆れた顔になったのである。 それから、表情と同じ口調で星矢に言った。 「流行遅れもはなはだしいな。今の流行りは『源氏物語』だぞ」 星矢は『竹取物語』は知っていても、『源氏物語』は知らなかったらしい。 「なんだそりゃ?」 と尋ね返してきた年下の又従弟に、氷河は今度は思い切り渋面を向けることになってしまったのだった。 中宮彰子付きの女房である紫式部が数年前から発表している『源氏物語』は、ちょうど先月、光源氏が配流先の須磨から宮廷に返り咲き、物語の主たる読者である宮廷の女官たちの胸を高鳴らせているところだった。 氷河自身は そういう理由で、氷河は、その物語の新作が出るたびに、物語のあらすじだけを彰子付きの女官から手に入れていたのだ。 それはともかく、これまで女に興味らしい興味を示したことのない星矢に、『かぐや姫に会わせてやるから、力を貸してくれ』などということを言われても、氷河はその言をにわかに信じる気には なれなかったのである。 かぐや姫のように美しい姫が 窮地に立たされ、救いを求めているなどと。 氷河はこれまで、都で美しいと評判の姫、絶世の美女とまで噂されている貴族の姫を幾人も見てきたが、実際に会ってみると彼女たちは誰も彼もが実に平凡な女性ばかりだった。 灯燭の灯かりだけが頼りの薄暗がりの中でならまだしも、朝になって日の光の下でその姿を見ては落胆することを、氷河は繰り返してきたのだ。 彼女たちは、氷河の“美女”の概念を裏切る者たちばかりだった。 が、家族以外の男に顔を見せないことがたしなみとされている貴族の姫君たちの顔を明るいところで確かめようと思ったら、一度はその姫と寝なければならないのだ。 そのたびに、落胆を味あわされ、氷河は同じ姫の許に二度通ったことがない。 三日続けて通わなければ婚姻成立しないことを逆手にとった、あまり上品とは言えない やり口だと、それは氷河も自覚はしていたが、同時に彼は、平凡な容姿を絶世と言いふらす相手の方にこそ より大きな非があるのだとも思っていた。 目覚めた時に、同衾していた相手の美しさに息を呑むのが“絶世の美女”の方では、“絶世”が泣くというものである。 「俺の目に適うほどの美女など、この世にはいないことがよくわかった。まして、かぐや姫など」 「今度のは確かだって。なにしろ、誰にでも日の光の下で姿を確かめることができる相手だからな。誰もが認める保証付きの美形だ」 「誰にでも日の光の下で姿を確かめられる姫――とは、貴族の姫ではないのか?」 「貴族の中の貴族だ。一応、俺たちと同じ藤原北家の一員」 「……藤原一門に そんな美しい姫がいるという話は聞いたこともないな」 自信満々で断言する星矢を訝り、氷河は低く呟いた。 同じ藤原北家といっても、それは300年も前に成立した家である。 全員が親戚として顔見知りであるわけもなく、皆が皆富んでいるわけでもない。 現在は、藤原冬嗣 氷河は、冬嗣の次男良房 傍系と言っても藤原一門、摂政関白になれる可能性が低いというだけで、氷河はそれなりの地位と財は得ていたし、だからこそ大抵の貴族の家は氷河に対して その門を開き、娘と会うことを許してくれるのであるが。 「今かぐや は確か、左大臣藤原冬嗣の祖父に当たる藤原真楯 「名前が同じだけのただの他人だ」 星矢の説明を聞いて、氷河はあっさりと断じた。 250年も昔の共通の先祖の名を出されても、親族と思うことなど不可能である。 1000分の1くらいなら同じ血が流れているかもしれないが、それは明確に他人だった。 しかし――。 「だが、それでも歴とした貴族には違いないな。その貴族の姫がなぜ、誰にでも姿を確かめられるようなことになっているんだ」 貴族の姫の顔を見るために したくもない手間を重ねている氷河としては、現代のかぐや姫などという法螺を信じる気にはなれなかったが、誰にでも顔を確かめられる貴族の姫には興味を覚えた。 もし その方法が他の姫にも応用できるものなら、知っておいて損はない。 が、星矢から返ってきた答えは、残念ながら、そういうことに役立つものではなかった。 |