「おまえ、ガキが駄々こねてるんじゃないんだからさぁ」
ヒョウガの恋の手管を拝見すべく庭の木の陰に隠れていたセイヤが、心底呆れた顔を花の陰から覗かせる。
それでなくても時間がないというのに、ヒョウガのやり方は無様に過ぎた。
この調子でシュンが恋に目覚めてくれる時を待っていたら、シュンの命の期限が100年先でもまだ時間は足りない。
シュンは、明日の打ち合わせのために城内に戻っていってしまった。
猶予はほとんど無いに等しいのだ。

「驚くなかれ、ヒョウガ王子様はこれが初恋で、死ぬほど稚拙な恋の告白も致し方ない」
「そうなのか? 結構遊んでるだろ。だから、生きてるのが楽しいなんてことを自信満々で断言できるんだと思ってたぜ、俺」
「まあ、これでも一国の王子なわけだしな。相手が勝手に寄ってくるだけということで」
へたに追い詰めると更に馬鹿なことを始めかねないヒョウガの性格を見越して、シリュウはヒョウガの過去の行状に関して それ以上は何も言わなかった。

だが、セイヤは、そのやりとりのおかげで別の考えを思いついたのである。
それはかなり乱暴なやり方ではあったが、その分 有効な手立てであるように、セイヤには思われた。
「今日中にシュンを恋に目覚めさせるなんて、相手がヒョウガじゃ到底無理な話だろ。それより、この際、とっととシュンをものにしちまうってのはどうだ? それならヒョウガにでもできるだろ? 神様も、ヒョウガのお手つきはいらないとか言い出すんじゃないかな?」

そういう横暴なやり方はシュンを傷付けることになるかもしれないが、今はシュンを人の世に留め置くことが最も優先されるべきことである。
シュンが消えてしまいさえしなければ、傷付いたシュンの心や身体は再び癒えることがあるかもしれない。
だが、シュンが消えてしまえば、世界は何も変わらず、すべてが――シュンが存在したことも――なかったことになってしまうのだ。
この国の人間たちは皆――シュン自身も含めて――それを望んでいるのかもしれないが、ではシュンという個人は いったい何のために生まれ生きてきたのか。
セイヤは、自分なら我慢ならないことを従容として受け入れてしまう人間がこの世に存在することが我慢ならず、自分がそんな人間を見ていることしかできないことが、更に我慢ならなかった。

が、この事態を打破しようとする者たちの前には、シュンの意思の他に、シュンの意思よりも更に強固で扱いの難しい“神”という障壁が立ちふさがっていたのである。
「神の機嫌を損ねるのは利口じゃない。デュカリオンの洪水の例もある。神という奴は、平気で人間の世界を崩壊させる自分本位で傍迷惑な存在だ」
「そんなの、何百年前何千年前のことだよ! 人間様は今じゃ治水の方法を心得ている。川の流れを変えることだってできるんだぜ」
「それはそうだがな……」
人間の思い上がりは、最も神々の不興を買う行為である。
人間に甘いアテナの守護する故国でならともかく、国内に神の影響力があまねく及んでいるこの国で、セイヤの発言は非常に危険なものだった。

「俺は、当人も周囲も抵抗を諦めきってる この国の雰囲気が嫌なんだよ。俺なら、相手が神でも死力を尽くして戦うぞ!」
世界を滅ぼす神、生きる意思のある人間から 理不尽にその時間を取りあげる神、その理不尽を理不尽と気付かせない境遇の中にシュンを追いやった神。
そのような神は、セイヤにとっては明確に邪悪な存在だった。
人間が神に勝てるかどうかは問題ではない。
我が身の存続を守るために神に抗う権利くらいは、人間にもあるはずだと、セイヤは確信していた。

セイヤのそんな力説が、ヒョウガの耳には全く聞こえていないようだった。
彼の目には、自分の恋しか見えておらず、彼の頭の中には、その恋を守るという考えしか存在していなかったのだ。
意図するところは違っても、この二人が神に逆らう気満々でいることは確かだった。
シリュウは思わず渋い顔になり、そして、一つ長い溜め息をついたのである。

いずれにしても、今年の春分は明日にせまっている。
シュンの命を守り、ヒョウガの恋の成就を図るには、もはや神との直接対決以外に策はない。
「それでも、最初は言葉で神の慈悲にすがるところから始めるんだぞ」
無駄と知りつつも、シリュウはそう言って 血気に逸るセイヤとヒョウガとをいさめたのである。
神への反抗の報復が、反抗した者だけに向かうのであれば、シリュウとて二人の好きにさせていただろうが、世の中というものはそれほど単純にはできていない。
もっともシリュウの忠告が、単純そのもののセイヤとヒョウガの頭にどれほど強く響いたのかについては、シリュウにも全く自信がなかったのだが。

「相手が情け深い神であることを祈ろう。あるいは、神ではないことを」
せめてこの国の者たちに神と思われているものが、キュクロプスやテュポーンのような化け物の類であったならば、剣1本で片がつくこともあるかもしれない。
シリュウは、万に一つの希望をその夜の就寝の挨拶にした。
明日からは、夜の時間は短くなる一方である。
少しでもこの夜が長ければいいと願う人間は、異国からやってきた者たち以外にはこの国には存在しないのかもしれない――そう思うと、シリュウの胸中には、今更ながらにシュンへの憐憫の気持ちが湧いてきたのだった。






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