大声で叫びながら店内に押し入ろうとしている酔っ払いは、到底ホストと歓談することに楽しみを見い出すタイプの人間とは思えない壮年の男だった。
呂律がまわっていない彼の主張を要約すると、
「ここに、ウーマンズテンポラリーの女社長が来ているだろう! そいつを出せ。あの強欲女、ウチの従業員をごっそり引き抜きやがって、おかげでこっちは商売あがったりだ!」
ということらしく、彼は、今 瞬が相手をしている女社長に用があるらしい。

「追い出せ」
入り口の騒ぎに気付いたマネージャーが、テーブルについていないホストたちに命じる。
が、命じられたホストたちは揃って肩をすくめ、尻込みをした。
「色男に金と力はありませんよー」
「服が汚れますし」
「顔に傷でもつけたら、それこそこっちの商売があがったりだし」

なにしろこの店の従業員たちは皆、口八丁手八丁の優男ばかりである。
その事実を思い出したマネージャーは、彼等への指示の内容を変えた。
「警備員はどこだ」
「車をさばく方に行ってます」
「急いで呼んでこい」

マネージャーたちが対応に手間取っているうちに、問題の酔っ払いは入り口から続く通路を通り抜け、客のいるホールを一望できるところにまで入り込んで、言葉にもなっていない大声を響かせ始めていた。
その声は客たちの耳にも届き、女性客たちは揃って不愉快そうに眉をひそめている。
瞬と同席していた女社長は その男に見覚えがあったらしく、自分の姿が酔っ払いの視界に入らないように、僅かに座っていた場所をずらすことをした。
そうしながらも彼女は、虚勢を張り低い声で毒づいていたが。
「あの負け犬のセクハラ親父! 私はあの親父の会社で泣いてた女の子たちの世話をしてあげただけよ!」
「――」

彼女の言葉は明白に強がりだった。
そして、嘘ではなさそうだった。
瞬はそう判断して席を立ち、先輩たちが遠巻きに眺めている酔っ払いの側に歩み寄っていったのである。
「どういうご用件でいらしたのかは存じあげませんけど、あなたは人とちゃんとしたお話ができる状態ではないようです。お帰りになった方がいいんじゃないかと思うんですが」
そう言って、瞬が酔っ払いに手を差しのべる。
店内にいた全ての人間は、瞬の対応を見て一斉に冷や汗を流すことになった。
どう見ても、それは、猛獣の恐さを知らない子供が、冬眠から目覚めたばかりの飢えたヒグマに無邪気に手を差しのべているような風情だったのだ。

「なんだと、このガキ!」
案の定、気の立ったヒグマが瞬に飛びかかってくる。
瞬は、彼が振り回した腕を ほとんど身体の位置を動かすことなくよけ、そのため酔ったヒグマは頭から床に倒れ込むことになった。
「大丈夫ですか? ね、足許が危ないですよ」
「くそーっ!」
のそのそと立ちあがったヒグマが、再び瞬に襲いかかる。
が、その時には瞬は既に彼の背後に移動してしまっていた。

そんなことを4、5回繰り返しただろうか。
酔っ払いは、やがて、一人で踊り続けることに疲れきり、結局その場に尻餅をつく格好でへたり込んでしまったのである。
「本当に、お怪我をしますよ」
そんな彼に、瞬は心配顔で言ったのだが、彼はそれを脅しと受け取ったらしい。
凶暴だったはずのヒグマはにわかに怯えた顔になり、捨てゼリフを残すこともなく、よたよたと店を出ていった。
足許の覚束ないヒグマの後ろ姿を、瞬はしばらく気遣わしげに見詰めていたのだが、彼の姿が店のドアの向こうに消えると、小さく吐息して、再び元の席に戻ったのである。






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