「それは、ご近所への対面のことなんかを気にしているお母さんの気持ちを、息子さんが感じ取っているからなんじゃないでしょうか。子供って、自分の親には無償の愛を求めるものなんじゃないのかな」
瞬に視線で同意を求められても、氷河は無言で顔を引きつらせることしかできなかった。

「でも、人間が自分の厚意の報いを求めるのは当然のことでしょう。母親だって人間なのよ。愛したら、その分を返してほしいわ」
「息子さんが健康で素直でいてくれること以外に、どんな報いが必要なんですか? 僕には両親がいないし、人の子の親になったこともないので、よくはわかりませんけど」
「瞬ちゃん……」
「僕が部長さんの子供だったら、部長さんが元気で幸せそうにしていてくれることだけを願いますよ。他に何もいらない。それと同じことなんじゃないでしょうか。部長さんだって、息子さんに、もっと稼いでこいなんて言われたら、嫌な気分になるでしょう?」

「――瞬はここでカウンセラーでもやっているのか」
二人の会話についていけず、氷河は思わず小声でぼやいた。
いつのまにか瞬たちの席の脇にやってきていたマネージャーが、苦笑して頷く。
「瞬のテーブルはいつもこうなんです」
「慈善事業だな。確かに瞬向きな仕事かもしれないが……」

瞬の客が瞬に訴える泣き言の内容は、実にありきたりな、どこにでも転がっているようなものだった。
瞬が彼女に与える助言も、ごく一般的なもので、さほど気の利いたものではない。
もしかしたら瞬の客は、ごく当たりまえのことを面と向かって言ってくれる人間を求めて 瞬の許にやってくるのではないかと、氷河は思ったのである。

「だが、こんなアドバイスは、赤の他人のホストなんかより、むしろ自分の家族や友人に求めるべきものじゃないか。その方が金もかからないし、より親身になってもらうこともできるだろう」
氷河のそのぼやきは、販売企画事業部長の耳にも届いたらしい。
彼女はきつい目で氷河を睨みつけてきた。

「家族や友人が相手にならないから、ここに来るのよ。客としての私になら、この店のホストは誰もが優しくしてくれるわ! 瞬ちゃんは特にね!」
ありきたりな愚痴を言える相手が、どうやら彼女にはいないらしい。
立場上 弱音を吐くことができないからなのか、社会的成功を収めることに夢中になって、そんなことを言える人間関係の一つも作らずにきたせいなのか、それは氷河にもわからなかった。
だが、いずれにしても、そういう事態に彼女を追い込んだのは彼女自身であるに違いないと、氷河は思った。――そう思わざるを得なかった。

「瞬が、貴様等を金づるだと思っているのなら、俺は何も言わん。しかし、瞬はそんな器用な人間じゃない。瞬は、赤の他人のことを馬鹿みたいに本気で心配する奴だ」
「それがわかってるから指名するのよ!」
「10万のミルク、8万のケーキ、馬鹿げている。瞬の優しさを金で買うか。それは瞬を貶めることだ。そんなものを貰わなくても、瞬は親身になって貴様の愚痴を聞くだろう。貴様が虚心に瞬に訴えたなら」
「でも、私は他に何も返せるものがないわ」
「そういう考え方だから、誰にも相手にされないんだ。『ありがとう』の一言だけで瞬は喜ぶ。そういう奴は貴様の周囲にもいるはずだ」

「どうだかわかるもんですか! そんな綺麗事は、そこここに転がっていることじゃないわ!」
販売企画事業部長が、激昂した声で氷河に噛みついていく。
思いがけない展開に、瞬は瞳を大きく見開き、取り乱している販売企画事業部長を気遣わしげな目で見詰めることになった。
やがて、我にかえった販売企画事業部長が、瞬のその眼差しに気付いて、苦しそうに眉根を寄せる。

「そうね……。その綺麗事がここにはあるから――瞬はその綺麗事を私に見せてくれるから、だから私は瞬を指名せずにはいられないのかもしれないわ……」
低く呻くようにそう言って、彼女はひどく寂しげな笑みを瞬に投げかけてきた。






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