氷河には、瞬の望みを叶えてやることはできない。
しかし瞬は、事が成らなければ氷河の好意を失うことになると考えているらしく――少なくとも、その可能性があることを信じているらしく―― 一向にその気になってくれない氷河に失望してしまったようだった。
肩を落とし俯いている瞬を見て、氷河は短い嘆息を洩らしたのである。
どうにかして、瞬の不安を消し去ってやらなければならない。
それが、瞬に好意を持たれ、瞬に好意を抱いている男の務めである。
氷河は、瞬に妥協案を提示した。

「なら、少しずつ慣らしていこう。おまえと俺はいつも一緒にいる。で、少しずつ、触れ合う機会を増やして親密度を増していけば、おまえもいつかは本心からそれを望むようになるかもしれないだろう? おまえが嫌がっていることを、いくらおまえに許されたからと言って、俺にできるわけがない」
そんなことをして、これからずっと嫌悪の表情を隠し切れない瞬との同衾を重ねたところで、何が楽しいだろう。
瞬自身が言っていたように――氷河が心から望むこともまた、瞬と同じ幸福を共有することだった。

「少しずつ……って」
自分が氷河に断固とした拒絶を受けているのではないことを知らされて 力を得たらしい瞬が、ほんの少しだけ顔をあげる。
その視線を捉えて、氷河は、瞬の心を安んじさせるために目許に軽い笑みを刻んだ。
「たとえば……おまえ、キスは平気か」
「氷河にキスされるのは好き。でも、あの――」
「舌が入ると駄目なわけだ」
「だって、触れてるだけで気持ちいいのに、どうしてあんなことするの。どういう意味があるの」
「意味?」

確かに、キスの目的が親愛の情を示すことにあるのだとしたら、それは触れ合うだけで十分なことなのかもしれない。
キスで舌を絡め合う訳など、氷河自身、これまで ただの一度も考えたことはなかった。
しいて言うなら、それは、瞬のすべてに触れ、瞬のすべてを知りたいという願望のせいだった。
それが許されることで、瞬の好意の証を得られているような気持ちになっていた部分もあったかもしれない。
だが、“証”なら、既に氷河は十二分なものを得ていたのである。
瞬は、彼の恋人にすべてを許すとまで――不本意ではあるらしいが――言ってくれているのだ。

「なぜだろうな」
氷河にも、瞬の疑問の答えはわからなかった。
だから、彼は、瞬に向かって手を差し延べた。
「瞬、こっちに来い。二人でその件に関して考察してみよう」
「……」
氷河に差し延べられた手を見詰め、氷河の言う『こっち』が彼のベッドであることを理解して、瞬は一瞬 身体を強張らせた。
が、すぐに覚悟を決めたような険しい表情になって、瞬は、氷河が椅子の代わりにしていたベッドの彼の隣りの場所に移動した。

「そうじゃなくて、俺の膝」
「え……?」
氷河は、瞬が彼の言葉の意図を解する前に、その身体を抱き上げて、瞬を自分の膝に横に座らせた。
瞬は、そうされたことに驚きはしたようだったが、嫌がる素振りは見せなかった――嫌ではなかったらしい。
二人の間の距離は より縮まったというのに、氷河のベッドに座った時よりも、瞬の表情は和らいでいた。――つまり、ベッドに押し倒される可能性が減ったために。

瞬を横抱きにした氷河は、瞬の上体が倒れないようにその肩と腰に腕をまわし、それから瞬の唇に自らの唇を重ねた。
「これは平気なのか」
「うん……」
ほとんどまだ唇と唇が触れ合っているような状態で氷河が尋ねると、瞬は氷河に小さく頷いてきた。
こういうキスなら、瞬はむしろ好きらしい。
それは前触れもなく唐突なキスだったのだが、頷く瞬の口許は嬉しそうにほころんでいた。

瞬の反応を確かめて――それが嘘ではないことを確かめて――、氷河は――氷河もまた、瞬に頷き返したのである。
「じゃあ、今夜はずっと、こういうキスだけしていよう。そうだな、今から1時間」
「え?」
確かに、氷河とこういう・・・・キスを交わしていることは楽しい。
だが氷河は、それだけでは不足だと思っているのではなかったのか――。
氷河の言葉に、瞬は戸惑った。
その瞬の、今度は瞼に、氷河の唇がおりてくる。
瞬は、思わず目を閉じた。
そして、その感触に陶然とした。






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