瞬が、瞬の外見を全く気にしない人間に出会ったのは、その数日後のことだった。
その日、学校に忘れ物をしてきたことに気付いた瞬は、それを取ってくるために帰宅後 再び学校に戻った。
5月に入ってから日は随分と長くなり、午後6時を過ぎても 空にはまだ夕暮れの片鱗すら見えていない。

瞬の通っている高校は、グラード財団が経営基盤となっている総合大学の付属高校で、小中高大すべての学府を有している。
瞬が小学生だった頃には それぞれの学舎が都心に点在していたのだが、数年前にそれらの施設をまとめて郊外に移転し、現在はすべての学舎と大学病院が一つの広い敷地内に収まっていた。
敷地内には私鉄の駅も二つほどある。
学校の方が瞬の家に近付いてきてくれたおかげで、瞬はそれらの駅を利用することなく徒歩で通学できていたが。
中学は公立を出て、瞬は高校からこの学園都市の一員になった。
瞬が妙に上級生たちにちょっかいを出されるのは、瞬が外から来た生徒だということも、原因の一つになっているのかもしれなかった。

それはともかく、高等部の校舎に行くのには大学の付属病院の中庭を突っ切るのが近道で、その日 瞬は、病院を迂回する形になっている正規の通学路を使わずに、その近道を利用させてもらったのである。
まだ日は暮れていないといっても、日光浴をするには遅い時刻、病院の中庭には入院患者の姿はほとんどなく、庭のそこここに置かれているベンチには学生や病院の職員とおぼしき者たちが休憩をとっている姿がいくつかあるだけだった。

その庭を、忘れ物を手にした瞬が横切ろうとした時、突然右手の方角から妙に複雑な音が聞こえてきたのである。
人が倒れたような、物が落ちたような、木々がなぎ倒されたような、その音に驚いて、瞬は足を止めた。
瞬が振り向いたそこでは、金色の髪をした男性が一人、階段の下で尻餅をついていた。
「あた……」
どうやら彼は、病院の正面玄関から中庭におりる階段で足を踏み外してしまったものらしい。
彼の足許には、紺色のスーツの上着と書類を挟んだクリアファイルが落ちていた。

「だ……大丈夫ですか?」
彼を助け起こすべく慌てて駆け寄った瞬を見上げるその瞳が、信じられないほどに青い。
『青は藍より出でて、藍より青し』と言うが、彼の瞳は、晴れた空から切り取った空のかけらに更に青を加えたような色をしていた。

常日頃、外見で人を判断する人間を軽蔑すると言っていながら、まさしく その外見に心を動かされている自分自身に気付き、瞬は しばし困惑してしまったのである。
20歳は過ぎているように見えたが、外人の年齢はよくわからない。
大学への留学生か臨床研修期間中の研修医なのかもしれないと思いながら、瞬は彼の顔を覗き込んだ。
そして、深く感嘆した。
人種の違いといえばそれだけのことなのかもしれないが、これほど美しいのに一目で男性とわかる人間も この世には存在するのだ。
瞬は彼に、羨望と、わずかばかりの妬みを感じた。

「ああ、失礼。目が見えていないもので。あと数段のところで足を踏み外してしまった」
「え?」
そう言った彼の、足許に落ちたファイルを拾おうとする手が、微妙に見当違いの場所に伸ばされている。
瞬は、彼の代わりにそのファイルと彼の上着を拾いあげ、そして、彼が身体を起こすのに手を貸した。

12、3センチは余分なのではないかと思えるほど長い脚で その場に立ち上がると、彼は瞬に、
「ありがとう」
と礼を言ってきた。
邪魔なほど長い脚はともかく、その青い瞳が何も映していない――何の機能も有していない――とは。
だからこそ彼の瞳の青は不思議な青色を呈しているのかもしれなかったが、瞬は彼の口から出てきた言葉に、大きな衝撃を受けてしまったのである。

「あの……見えない――のに、お一人で?」
不躾とは思ったが、つい瞬は尋ねてしまっていた。
目が見えていないというのに彼は一人で、その上、あの白い杖も手にしていなかったのだ。
彼からの返事は、
「歩き慣れた場所なので油断していた」
というもので、彼の目が視力を有していないというのは、やはり冗談などではないらしかった。
この綺麗な瞳が光を映していない――本来の機能を備えていない美しい外見。
自分自身を含めて、瞬が人間の外見をこれほど気にした・・・・のは、これが初めてだった。
彼が美しいことが悲しく、瞬は意識せずにその瞳を潤ませてしまったのである。
そんな瞬を、青い瞳の持ち主は、無言で見詰めて・・・・いた。






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