予言者の恋

[I]







予言者が最初の予言をしたのは今から10年前、彼がわずか6歳の時だった。
もとは長く続いた王家の最後の生き残り。
10年前のその日まで、彼は、愛情にも物質的にも恵まれた何不自由のない暮らしをしていた。
おそらく彼は、彼の生まれた国の内ではもちろん、地上にあるすべての国のすべての人間の中で最も幸福な人間のひとりだったろう。
彼の父の支配する国――華胥かしょの国と呼ばれていた――は富み栄え美しく、彼は両親にも兄弟にも深く愛されていた。

だが、彼の幸福な日々は、彼が6歳になって間もないある日、一瞬にして瓦解した。
彼の国の西方に隣接していた大国――西戎せいじゅうと呼ばれていた――の軍隊が前触れもなく国境を越え、華胥の国の王がその理由を問い質すために送った使者がその陣営に至るより早く都に入り、平和だった華胥の国を蹂躙してしまったのである。
平和を謳歌し、軍備よりも文化の興隆に力を注いでいた華胥の国は、侵略者の圧倒的な武力の前に、為す術がなかった。
家族を殺され、家臣を殺され、平和で豊かだった国を奪われて、自らも処刑を待つだけの身になった幼い王子。
彼は、彼を捕らえた侵略国の将軍の前で、
「あと ひと月もすれば滅んでしまう者の手にかかって死ぬなんて――」
と、自らの不運を嘆いたのである。

王子を捕らえた将軍は、その言葉を聞き捨てることができず、それはどういうことかと、幼い王子を問い詰めた。
王子は、なぜそんなわかりきったことを聞くのかという顔で、世界で最も美しい国を我が手に収めて得意の絶頂にある征服者の最期を語ったのである。
「次の新月の夜には、あなたの国の王は僕のお父様より悲惨な死を迎えるよ」

幼い王子を問い質した将軍は、彼の主君に対して謀反を企てていた。
その決行の日を1ヶ月後と決めていた。
その彼にとって、暴君の死を確信をもって語る王子は、彼の謀反の成功を確約する者だったのだ。
幼い王子に ただならぬ力を感じた将軍は、彼の処刑の時を先延ばしにした。――ひと月。
やがて、王子の予言通りに侵略者である王は死に――謀反人である将軍の刃にかかって――僅か ひと月のうちに、華胥の国は3人目の王を戴くことになったのである。

今は華胥の国の王となった、もと西戎の国の将軍は、幼い王子を殺すことはしなかった。
周辺の国には理解し難いほど高い文化をもった国を、数百年の長きに渡って支配してきた王家の末裔。
華胥の国の王家の者には何か特別な力が天から与えられており、それゆえ軍備を伴わない文化の力だけで支配を維持できているのだと、それは長いこと周辺の国々に神話のように信じられていた。
思いがけず西戎の武力の前に王家は滅び去ることになったが、華胥の国の王家に対して信じられている神話は容易に打ち消すことができるものではない。
幾度か王子の予言の力を試し、やがて華胥の国の新国王はその力を確信するに至った。
戦の勝ち負け、他国の政情の変化、家臣の叛心の有無――すべてを言い当てる幼い予言者に、彼は信仰に近い信頼を抱くことになったのである。
彼は、様々な局面で判断に迷うたび、予言者に頼るようになった。

時が流れるに従って、この国を長く統治してきた王家の末裔だということは忘れられていった幼い王子。
王家の者としてではなく、神に特別な力を与えられた予言者として遇されるようになった王子の名を瞬といった。






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