「これが、華胥の国の大予言者? 何かの間違いじゃないのか? これはどう見ても、どこぞの男娼窟から王宮に呼ばれていた男娼か酌取りだぞ」
名高い予言者は、彼の前に現れた幾人目かの王の称賛・・の言葉に 気を悪くした様子は見せなかった。
これから自分の身がどうなるのかも定かではないというのに、不安のかけらも見せずに、ただ にこにこと笑っている。
その様子は、到底偉大な予言者のそれには見えない。
幼ささえ感じる予言者の様子に、氷河は思い切り気が抜けていた。

10年の年月 華胥の国を支配していた西戎の国の者たちを、氷河は、都入りから半日でこの城から追い払った。
氷河のしたことは、華胥の国の者にしてみれば、これまで西戎の国の者たちがいた場所に、北狄ほくてきの国の者がやってきて入れ替わっただけのことにすぎなかったのかもしれない。
が、それにしても、国の支配者が全く別の国の者に変わるという事態は、被支配国で高い地位にあった者には、にこにこ笑って受け入れられるようなことではないはずである。
にも関わらず、彼は笑っていた。
その笑みは、生まれたばかりの赤子の微笑反射のように邪気がなく、意味もない――ように、氷河には感じられた。

氷河の前に引き立てられてきた予言者は、これまでの支配者に相当 厚遇されていたらしい。
その細い身体には重たげに感じられるほど贅沢な衣装を身に着けていた。
長い上着には凝った刺繍が施され、幾つもの真珠が縫いつけられている。
その首も胸も腕も耳も、まるで縛めのような金細工の装飾品で飾られていた。――この王宮の部屋部屋と同じように。

「男娼窟? おまえ、そんな場所を知っているのか。おまえにそういう趣味があるとは知らなかった」
「行ったことはないが、こういうのがいるんだろう? 女より綺麗な男が」
「おまえみたいな」
「冗談を聞いている暇はない」

北狄は――本当は違う国名があったのだが、氷河の国は 華胥の国ではその名で呼ばれていた――、もとは北方の草原を駆けていた定住地を持たない流浪の民によって作られた国で、一つの国家らしい形を整え始めたのは、ここ十数年のことである。
当然、礼典の類もなければ、厳密な身分制度もない。
一応現在は北狄の国の王ということになっている氷河に、仲間たちは平気でぞんざいな口をきいた。
北狄は形式的な身分制度は持たないが、強い者が首領になるという、明確な上下関係のある国ではあった。
氷河に対等な口をきく者は、つまり、それだけ自分の力に自信を持っている者ということになる。
そういう仲間が、氷河には幾人もいた。
だから、北狄は新興国でありながら強国でもあったのである。

王を敬っているとは思えない態度を示す仲間を無視して、氷河は予言者に向き直った。
予言者の生殺与奪の権を握っている氷河は、予言者ほど豪奢な服も着ていない。
彼は、馬を駆るのに都合のよい、機能的な長袍チャンパオを着ていた。
だが、自らの力に自信を持つ者が、そんなことで人に気後れすることがあるだろうか――あるはずがない。
氷河は、華胥の国の偉大な予言者に、皮肉めいた口調で問いかけた。

「で、もちろん、偉大な予言者様は、俺がこの国の都を攻め、前王を追うことも予言していたんだろうな? なぜ、前の王はその対策を立てていなかったんだ」
『予言者様』が自分の呼び名だということはわかっているらしい。
彼は、氷河の問いに、僅かに右に首を傾けた。
決して何事かを訝っているのではなく、それは予言者の子供じみた癖らしい。
そして、予言者は、その癖に見合った あどけなさで、氷河に答えを返してきた。
「僕、言ってなかったの」
「なぜ」

『言っていなかった』とはつまり、『こうなることを知っていた』ということである。
華胥の国の有名な予言者が、10年前まではこの国を治めていた王家の末裔だということは、氷河も知っていた。
生まれた王家を滅ぼした西戎よりは北狄の支配を受ける方がいいと考えて、もしかしたら予言者は北狄による西戎の討伐を歓迎しているのではないかと、氷河は思ったのである。
予言者にしてみれば、氷河は、親の仇を討ってくれた親切な征服者なのだ。
しかし、そんな複雑な思いを、この子供のような予言者は持ち合わせていないらしかった。
彼は、至極あっさりと、
「だって、誰も僕に訊かなかったんだもの」
と、氷河に答えた。

16歳を超えていると聞いていた予言者の声は、ひどく幼かった。
口調は6、7歳の子供と大して違わない。
威厳を称えた予言者の姿を想像していた氷河は、彼の仕草、彼の表情、彼の言葉、そして、予言者の呼び名にふさわしくないその可憐さに、先程からずっと調子を狂わされていた。

「この国の王様になる人は、いつも僕に訊いてきたの。今の王が死ぬのはいつだ? 自分は王になれるのか? ――って。最初に外からやってきた王様を殺した将軍も、その将軍を倒した大臣も、大臣を殺した侍従も、僕に同じことを訊いた。でも、昨日までの王様は、次の王様がこのお城に来るのはいつなのか、僕に訊かなかったの」
「訊かれなかったから答えなかった。実に理路整然とした答えだな」
氷河はそう言って、とりあえず予言者に頷いた。

この国は、僅か10年の間に王が4人変わった。
全員、西戎の国の者――異国の王である。
父王を含むと、予言者は5人の王を知っていることになる。
王の交代はすべて、前王の殺戮によって為されてきた。
弑逆しいぎゃく者たちは、謀反を画するたびに、謀反の成否を予言者に尋ねていたものらしい。
謀反に次ぐ謀反の末,最後に王位に就いた昨日までの国王は、その猜疑心から周囲の実力者たちのほとんどを葬り去っていた。
国内の敵対者を一掃した安堵に油断して、彼は外からの敵を想定していなかったのかもしれない。

異国人であり、前王を殺して王位を簒奪した王たち。
そんな支配者たちのもとでは、家臣は言うに及ばず国の民の心がすさむのも当然のことである。
華胥の国がいまだに一つの国としての形を保っているのは、王の傍らにいる予言者が、この国が幸せだった頃の王家の唯一の生き残りだから――だったろう。
その予言者を保護している者だから、西戎の暴君たちはかろうじて この国の支配を維持できていたに違いない。
つまり、この細い身体の予言者は、異国からきた王たちにとって、この国の王冠のようなものなのだ。
その王冠が どうやら知恵の足りない者だという事実を、氷河は彼との短いやりとりで認めることになった。






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