西暦1733年、イギリス人ジョン・ケイが織機の一部分である飛び その発明に触発された技術革命、蒸気機関の改良による動力革命、蒸気機関車の発明による交通革命。 それらがイギリス産業革命の主な動機と言われている。 この“革命”により、イギリス経済の中心は農業から工業に移行した。 工場制機械工業の目覚しい発達と、その仕事に従事する労働者の都市集中。 そういった世相は、イギリスに新しい階級制度を成立させた。 産業革命は、かの国に、新しいタイプの労働者階級と、彼等を使役する工業ブルジョワジーという階級を生んだのである。 英国には三つの階級がある。 上流階級は、更に、王族と、限られた数の公爵家・侯爵家・伯爵家・子爵家・男爵家から成る貴族階級、そして、貴族ではないが各界での功労者が選ばれ認定されるジェントリー階級に三分される。 産業革命によって財を成した工業ブルジョワジーの多くは、上流階級と対立する道を選ばなかった。 むしろ、『財の次に望むのは名誉』とばかりに、彼等は上流階級の一員になることを目指したのである。 上流階級の中で最も下位のジェントリー階級に食い込むことは、その生まれがどうであれ、財と才覚のある者には決して不可能なことではなかった。 しかし、貴族階級の一員になるには――貴族の称号は世襲であったため、その手段は“婚姻”以外にはありえない。 彼等は、迷うことなく その手段を採った。 平民から財を成し、ジェントリーに食い込んだブルジョワジーたちがより高い イギリスは 産業革命は、イギリス国内の貧富の差を拡大した。 同時に、個人の才覚の差を歴然とさせた。 たとえ由緒正しい貴族の家柄を有していても、才覚のない者たちは時代の大きなうねりに翻弄され没落していくしかなかった。 主産業が農業から工業・貿易に移行した産業革命以後、貴族たちは父祖から受け継いだ領地における収益性の少ない定期市等の特権だけでは、生活が立ち行かなくなった。 しかし、それでも彼等は貴族としての対面を保つために奢侈ともいえる出費を重ね、領地を売ることをした。 が、領地を切り売りするにも限度がある。土地は無限ではないのだ。 己れの属するクラスに誇りを持ちながら貧しい生活に耐えられない貴族たちは、やがて、彼等に残された最後のもの――爵位――を売ることになる。 落ちぶれた貴族の令嬢・令息が、貴族としての体面と生活水準を維持するために、裕福なジェントリーやミドルクラスの令息・令嬢と婚姻を結び、金銭的援助を受けるという現象が多く見られるようになったのである。 だが、莫大な財産にものを言わせ、貴族階級の令嬢・令息と婚姻関係を結ぶことをしても、ジェントリーやミドルクラスの者たちが、それだけで社交界に受け入れられるわけではなかった。 彼等が真に貴族階級の一員として認められるためには、貴族階級にふさわしい品格と人格・礼節が求められたのである。 それらの徳を備えていない成り上がり者は、金を持つがゆえにかえって社交界の笑いものになった。 完璧なクイーンズ・イングリッシュを話し、高い教養を有し、貴族階級にふさわしい立ち居振る舞いをその身に備え、ハイ・カルチャーを好み、多くの使用人を抱えた邸宅に住み、無論 容姿も優れていた方がいい。 社交界に受け入れられるために必要な それらの条件を、シュンはすべて備えていた。 「我が家に欠けているのは、貴族の称号だけだ!」 シュンの社交界デビューの日、黒のディナージャケットを身に着けたシュンを見ながら、シュンの兄はそう叫んだ。 |