色とりどりの絹のドレスを着た婦人たち、白手袋とカイザル髭の紳士たち――が、タンカービル男爵家のホールにはあふれていた。
家計は決して楽ではないはずなのに、英国の貴族たちは、この手を催しを、まるで天に課せられた義務であるかのように 行なうことをやめようとしない。
シュンには理解できない“プライド”だった。

ホールには、シュンの花嫁として――というより、タウンゼント商会の花嫁として――適齢の うら若い女性も多くいたが、シュンの胸は少しもときめかなかった。
彼女たちが好ましく感じられないというのではなく、目的が貴族の称号である自分が卑しく感じられて、そういう目で彼女たちを見ることができないのだ。
当然ダンスにも誘えない。

男爵夫人がそんなシュンを気にかけて、幾人かの令嬢を紹介してくれたのだが、シュンは当たり障りのない挨拶を返すだけで、彼女たちの前を辞することを続けた。
タンカービル男爵家はシュンの家から“援助”を受けている。
つまり、多額の借金があった。
そんな男爵夫人の“親切”を、シュンはあまり快く感じることができなかったのだ。

兄は、少々歳のいった紳士方と商売の話を続けている。
シュンが、この舞踏会からこっそりと抜け出す方策を考え始めた時。
シュンは、自分に注がれている ひどく強い視線に気付くことになったのである。
何気ないふうを装い、そちらの方に視線を巡らせる。
そこには、シュンより2、3歳年かさの金色の髪の青年が立っていた。
シュンの視線に気付いていないはずがないのに、彼はシュンを見詰めることをやめない。
シュンは自分の近くに美しい令嬢でもいるのかと、少しどぎまぎしつつ周囲を見回したのだが、その時シュンの側にいたのは、まもなくよわい40になろうかという、この家の女主人だけだった。

「あの方はどなたですか」
シュンが尋ねると、おびただしい数の招待客の素性をすべて把握しているらしい男爵夫人は、少し皮肉げな表情になった。
「シュンさんはお目が高い……と言うべきかしら。私の紹介する令嬢方には興味も示さないくせに、美しいものはちゃんと見てらっしゃるのね」
「男爵夫人」
彼女の皮肉をシュンがやわらかく たしなめると、彼女は唇の端を僅かに歪め、それでも微笑を作ることをした。
「あの方は、ハードウッィク侯爵家のご令息。フォアネームはヒョウガ。多分、あなたと同じように花嫁候補を探しにいらしたのだと思うけど……。現侯爵である叔父君が大変なやり手で、貴族受難のこんな時代にどんどん侯爵家の財産を増やしているわ。あなたの強力なライバルというところね」

「ライバルって――」
シュンがここに連れてこられた訳を、兄の魂胆を、男爵夫人は承知しているらしい。
いたたまれない思いにかられて、シュンはその瞼を伏せた。
男爵夫人は そんなシュンを見やって嘆息し、「ちょっと、待ってらして」と言うなり、シュンの側を離れ、シュンの“ライバル”に にこやかな笑みを投げかけながら歩み寄っていった。

そうして、まもなくシュンの許に戻ってきた男爵夫人は、“親切”にも、彼女が得た情報をシュンに披露してくれたのである。
「あちらもあなたのことが気になっているようで、名前を訊かれたわ。いったいどういうつもりかしら。お目当ての令嬢を射止める前に、ライバルを蹴落としておこうという魂胆かもしれなくてよ。気をつけなさい」
――というありがたい忠告つきで。
「この英国で慎み深さが美徳とされているのは女性だけ。シュンさんはもう少し積極的にならないと、望むものを手に入れることはできなくてよ。ライバルは多いのだから」

おそらく彼女は、シュンといずれかの貴族の令嬢との月下氷人の労をとることで、シュンの兄から更なる“援助”をとりつけようと考えているのだろう。
シュンの消極的な態度に、彼女は焦れているのかもしれなかった。
だが、シュンは、侯爵家の令息を自分のライバルだと言われても、全くピンとこなかったのである。
同じように財を成しているのなら、貴族である彼の方が はるかに優位に立っている。
未婚の娘を抱えている貴族たちは、本心では娘の夫には同じ階級の貴族の男子を望んでいるのだ。
彼等は、成り上がりの家と婚姻を結ぶことを決して名誉とは思っていない。
むしろ屈辱と感じている――。

そんな貴族たちの“プライド”を知っているからこそ、シュンは、兄の悲願を叶えるために積極的にも能動的にもなることができずにいたのだ。






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