「シュンにプレゼントだと? あの ふざけた野郎から?」
翌日早朝、シュンの許にヒョウガからの贈り物が届けられた。
――が、それは、シュンの手に渡される前に、シュンの兄の検分を受けることになった。
丁寧に包装された、広げた書類大の薄い箱のようなもの。
リボンをほどいた包装紙の中から出てきたものは、厚紙のケースに入った一冊の古い絵本だった。
ケースには、絵本の表紙と同じ、東洋の貴人が木の枝にとまった小鳥に話しかけている絵が描かれている。

「何だ? 侯爵家の令息からのプレゼントにしてはしみったれた代物だな。捨てろ!」
シュンの兄はにべもなく彼の執事に命じたのだが、シュンは、主人の命に従って包装紙ごとヒョウガからのプレゼントを持ち去ろうとした執事を慌てて引き止めた。
「待って! それ、僕のだ!」
「おまえの?」
「子供の頃に僕が持ってた本だよ。どこかでなくしたの。ずっと捜してたんだ、捨てないで。お母さんが読んでくれた本だよ。お母さんの手が触れた本なの」

「む……」
なぜそんなものが、あのふざけた大貴族から贈られてくるのかと思いはしたのだが、可愛い弟に懇願されてしまっては、そのプレゼントを無造作に捨ててしまうこともできない。
母の形見の品だというその絵本を、シュンの兄は執事の手から取り戻した。

それは、アンデルセンの『ナイチンゲール』を英訳した大判の絵本だった。
美しい声で鳴くナイチンゲールがお気に入りだった中国の皇帝が、宝石で飾られた機械仕掛けの小鳥を贈られ、お気に入りのナイチンゲールのことをすっかり忘れてしまう。
だが、機械仕掛けの小鳥はやがて動かなくなってしまった。
皇帝が重い病にかかった時、皇帝を救ったのは、彼のために希望を歌いにきた、あの忘れられたナイチンゲールだった――。

忘れられたナイチンゲールが皇帝の胸に希望のともしびをともすために懸命に歌を歌う場面が大好きで、シュンは母に幾度もその部分だけを読み返してもらっていたのである。
その光景はシュンの兄の記憶の隅にも残っていたらしい。
「何も細工はないようだな。ラブレターでも挟まっているのかと思ったんだが」
再度念入りに検分してから、シュンの兄はその絵本をカバーケースに入れ、弟の手に返してくれた。
シュンは兄に礼を言って、懐かしい絵本を両手で抱え、自室に駆け戻ったのである。

その絵本には、ささやかな細工が施されていた。
書籍本体ではなく、カバーケースの内側に小さなカードを入れられるほどのポケットがついているのである。
クリスマスのプレゼントをねだる時、いたずらをして『ごめんなさい』を直接母に言えない時、シュンはそのポケットにカードを入れて、絵本を母に手渡した。
シュンの母はそれをいつも笑って受け取り、シュンの髪を撫でてくれたのだった。
物語の内容もさることながら、その絵本には、母と交わしたそのやりとりの思い出が詰まっているのだ。
絵本の秘密を、シュンは、母以外にもう一人だけ、ある人物に教えたことがあった。

シュンが思っていた通り、カバーケースの内側のポケットには、1枚のカードが入っていた。
ラブレターというほどのものではない。
『憶えていたら、メイドストーン子爵家の舞踏会で会ってくれ。目印は赤い薔薇』と、そのカードには記されていた。
『憶えていたら』――10年近く忘れていたことを、そして、シュンは思い出したのである。

まだ母が生きていた頃、シュンは、ロンドン南郊のシドナムにハイドパークから移築されたクリスタル・パレスに、ナイチンゲールの物語の舞台になった中国の建物や装飾品が展示されていると教えられ、絵本を持って出掛けていったことがあった。
あまりに広い会場、多くの来場者。
しっかり握りしめていたはずの母の手を見失い、植物園の隅で泣いていたシュンに声をかけてくれた一人の少年がいた。
話を聞くと、その少年も迷子だったらしいのだが、彼はそんなことを一向に気に病んだふうもなく――二人でクリスタル・パレスを冒険することを、シュンに提案してきたのである。

最初は はぐれた母親を捜すつもりで彼の提案を受け入れたシュンだったのだが、子供だけの冒険は子供には楽しいもので、シュンは最後には自分が迷子であることも忘れ、笑いながら彼と広いクリスタル・パレスの中を駆け回っていた。
半日そうして過ごしたあと、彼はシュンにプロポーズしてきたのである。
そして、当時はまだ、男の子は男の子のオヨメサンになれないことを知らなかったシュンは、親切な少年のプロポーズに『イエス』と答えてしまったのだ。

その後、どうやって母と巡り会い、どんなふうに彼と別れたのかを、シュンはもう憶えていなかった。
ただ結婚の約束を交わした少年が、ロンドンでは滅多に見ないような明るい色の金髪と綺麗な青い瞳の持ち主だったことだけを憶えている。
シュンがプロポーズに『イエス』の返事を与えた少年が誰だったのか、あれから10年の月日を経た今になって、シュンは初めて知ったのだった。



■ クリスタル・パレス → 参照 Japanese(概要)  English(詳細)



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