「シュン……!」 そこではヒョウガが待っていた。 シュンの姿を認めると、彼は瞳をぱっと輝かせ、シュンのエスコート役のあでやかなご婦人を鮮やかに無視して、シュンの身体を抱きしめてきた。 無論、シュンは、突然の彼の抱擁に驚いた。 だが、シュンは、すべては手筈通りとでも言うかのようなヒョウガの勢いに逆らうことができなかったのである。 その計画に乗ってここまできてしまった身としては、彼の失礼を責めることもできない。 何より、ここまで熱烈に全身で喜びの感情を示されたシュンは、彼の喜びに水をさすような言動をとりにくかったのだ。 「悪いな」 再会の喜びを喜びたいだけ喜んだあとで、ヒョウガは、シュンの肩を抱きしめたままで、シュンをこの場に連れてきてくれた伯爵令嬢に礼を言った。 伯爵令嬢が、意味ありげな笑みを浮かべ、首を軽く横に振る。 「いいえ。あなたの好みのタイプがわかって、私も安心したわ。30分後にホールに戻るわ。それ以上 席を外していると怪しまれるから。それまでごゆっくり」 「協力、感謝する。邪魔者は早く消えてくれ」 『富者に礼儀作法はいらない』とはトルコのことわざである。 が、ヒョウガは決して侯爵家の富に おそらく今の彼には、『自身の恋を貫く』という、ただ一つの目的しか見えていないのだ。 彼の共犯者がその場を立ち去るのも待ちきれない様子で、彼はシュンに性急にたたみかけてきた。 「時間がない。愛してるぞ、シュン。ここに来てくれたということは、おまえも俺を――」 どうやらヒョウガは、何もかもを自分のペースで、自分の思う通りに運ぼうとするタイプの人間らしい。 シュンの返事を『イエス』と決めつけて、シュンの答えを確かめることより、彼の恋人へのキスを優先させようとするヒョウガの肩を、シュンは慌てて押しやった。 「ぼ……僕、そんなつもりじゃ……。僕はただ、あの時のお礼を言いたくて――」 「おまえは俺のオヨメサンになってくれると言ったじゃないか」 「それは、なれないって知らなかったから」 「なれないとわかれば、おまえは俺を嫌いになるのか」 「そういうことじゃなくて――ヒョウガは好きです。でも……」 そう言ってしまってから、シュンは、自分はいつからヒョウガを好きなことになってしまっていたのかと、自身の発言を訝ることになったのである。 どう考えてもシュンは、ヒョウガの勢いに押されて、そう言わされてしまっていた。 が、ヒョウガは、シュンのそんな内部事情に気付いてもいない。 「なら、問題はない」 シュンの言葉を言葉通りに受けとめたヒョウガの、それが結論だった。 「大ありです! ヒョウガはまだ、僕を女の子だと思ってるの !? 」 シュンはこれ以上彼のペースに巻き込まれまいとして、肩肘を張って彼を怒鳴りつけたのだが、ヒョウガは全く動じる様子を見せなかった。 「おまえの兄に、あれだけ弟弟と連呼されたら、おまえが男なことは嫌でもわかる」 「だったら……」 現在の大英帝国では、 社交界がいい顔をしないだけで、その行為自体は違法でも何でもない。 だが、同性愛はご法度なのだ。 その事実が発覚すれば、社会的地位や信用を失うことはもちろん、場合によっては投獄もされる。 しかし、それでもヒョウガは、あくまでもどこまでも我が道を進もうとしていた。 「大英帝国は馬鹿だ。ロミオとジュリエットの昔から、禁じられるほど恋は燃え上がるものだということがわかっていない」 彼の恋心は、シュンの心を無視して、既に大きな炎になっているらしい。 「俺を嫌いでないのなら、好きになってくれ」 強引に過ぎるヒョウガについていけず、シュンは思わず嘆息してしまったのである。 「どうして僕なんかにそんなにこだわるの。ハードウィック侯爵家は、他の貴族の家とは違って、この時代にも財を増やしていると聞いています。あなたなら、どんな貴族の令嬢だって喜んで――」 「不愉快な仮定文を口にするな! 俺が愛しているのはおまえだけだ。だいいち、恋は身分や財産でするものじゃない!」 ヒョウガにきっぱりと断言されて、シュンは瞳を見開き、彼の顔を見上げた。 それからシュンは、力無く両の瞼を伏せた。 ヒョウガと同じことを考えて兄の言葉に反発していたはずの自分が、いつのまにか恋や結婚に“つりあい”を考えるようになっている。 そんな自分自身に気付いて、シュンは唇を噛んだ。 シュンの落胆を自分の怒声のせいと思ったのか、ヒョウガがシュンの髪に手を伸ばしてくる。 彼らしくない ゆっくりした動作と、何かを懐かしむような仕草で髪を撫でられ、シュンは恐る恐る顔をあげた。 「あの時――クリスタル・パレスで初めておまえに会った時、『お母さん、お母さん』とそればかり言って 泣いていたおまえを放っておけなかった。少し羨ましかった。俺は母を亡くしたばかりで、おまえをオヨメサンにすれば、俺はまた新しい母を持てると思った。もちろん、おまえがあんなに可愛くなければ、そんなことは考えなかったが――」 「あれからすぐ、僕の母は亡くなりました」 「タンカービル男爵夫人から聞いた。だからなおさら、俺はおまえの側にいてやりたいと思ったんだ。あの舞踏会で、おまえはひどく寂しそうにしていたし」 「ヒョウガ……」 あの夜、シュンは決して自身の孤独に打ちひしがれていたわけではなく、兄のさもしい魂胆を憂鬱に思って沈んでいただけだった。 なにやら自分がヒョウガに少々好意的な誤解を受けているらしいことに、シュンは気付いた。 が、なぜかその誤解を解く気になれない。 それでもシュンは、勇気を奮い起こして、ヒョウガを錯覚から目覚めさせるための言葉を彼に告げた。 「で……でも、僕はもう、母親を恋しがる子供じゃありません!」 「そうか……そうだな」 シュンの強い口調に、ヒョウガがその青い瞳を寂しそうに曇らせる。 「あ……」 途端にシュンは、激しい罪悪感と後悔の念に襲われてしまったのである。 ヒョウガは――少々やり方は強引ではあったが――自分と同じように、懐かしい思い出に突き動かされて、幼い頃の幸せな時間をもう一度体験したくて、こんな無謀に出たに違いないのだ。 そう思うとシュンは、彼を冷たく突き放してしまうことが、どうしてもできなかった。 「あの……でも、じゃあ、もう一度お友だちになるために――また会えるでしょうか」 シュンの遠慮がちな提案を聞いたヒョウガが 弾かれたように顔をあげ、その瞳を輝かせる。 それでなくても強引な人間を更に調子づかせる真似をしてしまった自分自身に気付いたシュンは――だが、不思議に後悔を覚えなかった。 |