「町に……行かなくてもいいの」 シュンがふいにヒョウガに尋ねてきたのは、何十回目かのそんな交合の直後だった。 シュンに出会ってから どれほどの日が過ぎたのか、ヒョウガは既に明確には覚えていなかった。 ひと月は経っていたかもしれなかった。 その頃には、ヒョウガの中に生まれたシュンの兄への妬心も薄らいでいた。 たとえ兄の身代わりでも、シュンが自分に去らないでほしいと望んでいるのは事実なのだと、ヒョウガは思うことができるようになっていた。 だからこそヒョウガは、シュンにそんな話をする気になれたのかもしれない。 「実は訳ありで、俺はあまり人の多いところには出られない身の上なんだ」 「え?」 「母が、もしかしたら海賊に捕らえられてトルコの後宮あたりに売られた可能性があるかもしれないと考えて、スルタンのハレムに忍び込んだんだ。3年ほど前」 「ど……どうやって――」 オスマントルコは皇帝以外の人間はすべてが奴隷のような体制の国で、皇帝の権威の強大さは、キリスト教国の王の比ではないという。 その皇帝の、よりにもよって後宮に、異国の若い男が忍び込むなど、危険極まりないことである。 捕らえられたら、どれほど残虐な刑を受けることになるか わかったものではない。 そんな冒険を軽い口調で語るヒョウガに、シュンは困惑することになった。 「あっちの女たちはみんな、目以外は長いヴェールで全身をすっぽり隠しているからな。潜り込むのは簡単なんだ」 「でも……女の人に化けるには、ヒョウガは背が高すぎると思うけど」 「無論、すぐにばれた」 「ヒョウガ……」 ではなぜヒョウガは生きてここにいるのかと、当然の疑問が生まれてくる。 当然すぎて、わざわざ問うこともシュンにはできなかった。 ヒョウガも問われる前に経緯を説明してくれた。 「今のオスマントルコのスルタンはご老体でな。スルタンに放っておかれている寵妃の一人に惚れられて、彼女のおかげで無事にハレムの外に出ることはできた。が、当然のことながらスルタンは怒り心頭で――スルタンの名誉がかかっているから極秘だが、俺にはトルコからの刺客が放たれている。ま、幸い そいつが間抜けな刺客だったから、これまで何とか逃げおおせてきたが」 「呆れた」 そんな無謀をする人間を、他にどう評すればいいのか――シュンは、言葉通りに心底から呆れて、短く呟いた。 が、すぐに真顔になる。 ヒョウガの肩に額を押しつけ、顔を見られないようにして、シュンは彼に尋ねた。 「そのハレムの人は綺麗な人だったの? その人にヒョウガは優しくしてあげたの?」 「そんなところの女に手を出して、わざわざ自分から面倒をしょいこむ馬鹿はいない。――が、女の中には、冷たくされればされるほど燃え上がるタイプの者がいるらしくて――」 「……」 ヒョウガの肩に触れていたシュンの額が、僅かに下に傾く。 シュンが俯いていることに気付いて、ヒョウガは言う必要のないことまで調子に乗って語りすぎた自分に舌打ちをした。 もしかしたらシュンは焼きもちを焼いてくれているのだろうかと、ありえないことを期待している自分を自嘲しながら、それでもヒョウガはシュンの疑いを否定した。 「何もしていない。俺は、追いかけられるより追う方が好きだし、全身に重い飾りをぶらさげている作り物のような女よりおまえの方が綺麗だ。ここも――」 てっとり早くシュンを納得させるために、ヒョウガはシュンの中に指を忍び込ませた。 「おまえの方がいいに決まっている」 「ああ……っ!」 シュンの中が疼き始めたのを確かめて、ヒョウガは再度シュンを抱こうとしたのだが、シュンの身体はその指をすら離すまいとするかのように、呆れた力でヒョウガの動きを妨げてきたのである。 シュンの振舞いに ヒョウガは少なからず驚いたのだが、指にいい思いをさせるのは癪だったので、ヒョウガはあえてシュンの身体に逆らった。 ヒョウガの薄情な仕打ちに、シュンが瞳に涙をにじませて身悶える。 だが、シュンがその瞳を潤ませたのは、ヒョウガがシュンの意思を無視したからではなかったらしい。 「そんな危険なことをしてまで――お母さんに会いたいの……」 あれほど離すまいとしていたヒョウガの側から身を引いて、シュンは尋ねてきたのである。 それは即座に肯定してしかるべき問いかけだったのだが、ヒョウガはなぜかそうすることができなかった。 瞳を潤ませて 無謀極まりない男を見詰めているシュンの肩を抱き寄せ、低く呟く。 「もう……諦めるべきなのかもしれないな」 「諦めて、何をするの」 「することはない。何も――」 ヒョウガが最も恐れていることがそれだった。 母との再会を諦めてしまえば、彼には生きるための目的がなくなってしまうのだ。 12年の歳月をそのために費やした今、ヒョウガの内には、“結末”を恐れる気持ちが生まれ始めていた。 結末に辿り着いてしまったら―― 十中八九、その結末は幸福なものではない――すべてを失う自分――。 そんな自分に気付きつつあったから――だから、ヒョウガはシュンの中に身を沈め、すべきことを何も持たない我が身をシュンに包んでもらった。 |