俺が瞬と出会ったのは、19世紀の末。 ドイツの一地方を治める貴族の所有する城の中だった。 当時、俺は、ゲルマンの英雄シンフィエトリを死の淵から蘇らせたという植物の伝説に興味を持ってドイツの田舎を徘徊していた。 その途中に立ち寄った ある村の酒場で、俺は、農民たちが“魔女”という言葉を囁いているのを洩れ聞いたんだ。 彼等の村を見おろす山の上にある領主の城に魔女が住んでいる――と、村人たちは噂していた。 ドイツ最後の魔女は、1775年に処刑されたアルゴイ地方の農婦ということになっているが、それはまともに裁判を受けた者の話。 もうすぐ20世紀になろうとしている時代にも、文明の恩恵の及ばない地域には、そういった迷信の類は根強く残っていた。 その点に関しては、パリやロンドンといった大都会以外の田舎のありようはドイツもロシアも変わらない。 それが本当に魔女狩りだったのか、貧しい村人たちが裕福な貴族の城を襲う口実として、魔女狩りという大義名分を持ち出してきただけだったのかを、俺は知らない。 おそらく後者だろう。 人間は、自分が持ち得ないものを その手にしている幸運な者たちを打ち滅ぼそうとする時、その真実の理由は妬みであるにも関わらず、相手を邪悪なものにして 自身の行動を正当化したがる傾向がある。 俺がその村に着いて魔女の噂を聞いた日の まさに翌朝、農民たちは、手に武器を取って領主の城を襲い、略奪の限りを尽くした――らしい。 普通の人間に必要以上に関わることを極力避けていた俺は、もちろん彼等の暴挙を見て見ぬ振りをした。 そして、すべてが終わってから、日も暮れた頃、俺は問題の城の様子を見に行ったんだ。 正直に言う。その時、俺は物見遊山の気分でいた。 領主とその家族は、殺されてから麓の村へと引きずられていったのか、生きたまま村に連れていかれ、そこで見せしめのように処刑されたのか――魔女が住んでいたという城に俺が足を踏み入れた時、広い城の広間にいたのは瞬ひとりだけだった。 まるで、狼の牙から逃れるために柱時計の中に隠れていた子羊が、隠れていた場所から這い出てきて、兄弟たちのいなくなった部屋で一人呆然と母羊の帰りを待っているような風情で、瞬は広間の床に座り込んでいた。 その城に帰ってくる家族は永遠に失われてしまったというのに。 その時、俺は、瞬に名と歳を訊いたが、ショックのためか、あるいは俺を魔女狩りの一味と思ったのか、瞬は怯えたような目をして、俺の尋ねたことに答えを返してよこさなかった。 表情は幼いが、見たところ その体躯は15、6歳の少年のものだったので、年齢もその体躯に合ったものなのだろうと、俺は勝手に推測した。 あの時以降、俺は瞬に瞬の年齢を確かめたことはない。 俺は瞬を、歳など聞いても無意味なものにした。 |