不死に憧れる人間は愚かだと思う。
死への不安と恐怖が消え去れば 人間は幸福になれると思い込んでいる愚か者、自分の足許にある幸福にも気付くことのできない愚か者は、たとえ不死の者になっても幸福になることはできないだろう。

人間の幸福の時は、いつも一瞬だ。
その一瞬を大切に思えない人間が、不死なんてものを望み、永遠を手に入れられないことで自らを不幸にするんだ。
真に幸福な人間は、その一瞬を永遠と感じることのできる人間なのだと思う。
命の長短は、人間の幸不幸にあまり関わりがない。
幸福を感じる才能を持つ者にとってのみ、長命は幸運になり得る。
俺はその才能にあまり恵まれていないのかもしれなかった。

俺はいつでも死ぬことができる。
確実に脳を破壊する手段はいくらでもあった。
苦しみだけが永劫なら、死にたいとすら思っていた。
だが、俺が死ぬと瞬も死ぬ。
瞬は――俺の意に従っていさえすれば、自分は幸福だと信じていられる瞬は――死を望んでおらず、だから、瞬のために、俺は苦しい片恋に耐え続けた。
10年、20年、50年、100年――。
二人だけで旅を続け――30年ほど前に日本に来た。

この国は、俺の父親の故国らしい。
父は普通の人間で――不死人ではなくて――、母は彼を不死にはしなかった。
母の選択は賢明だったろう。
母が欲したのは、自分が愛することのできる人間、自分を愛してくれる人間で、決して自分の意のままになる下僕などではなかったんだ。

俺がこの極東の島国に来たのは、顔も知らない父を慕ってのことではなく、その消息を知りたいと思ったからでもない。
鎖国時代に禁忌を犯して他国に渡った男が、まともな生き方も死に方もしていないだろうことは、わざわざ調べるまでもなく想像がつく。
そうではなく――瞬が日本の桜を見たいと言い出したから。
それだけのことで、俺は瞬を連れてこの国にやってきた。

が、日本の桜という花は、俺たちと違って恐ろしく短命で――その潔さが国民に愛されている理由らしいが――俺たちがこの国にやってきた時、その花はすっかり散ってしまっていた。
桜と違って気の長い俺たちは、翌年の花をこの国で待つことにし、以来ずっとここにいる。
この国の都会の住人たちは、実に隣人に無関心で――否、本当は異様なほど他人を気にしているのに、彼等はいつも自分以外の人間を見ていない振りをしようとするんだ。
この国の住人の備えている『見て見ぬ振りができる』という美徳が気に入って、俺はこの国にとどまった。

瞬は、この国の住人に比べると髪や肌の色素がかなり薄かったが、なんとか日本人で通る程度の容姿を持っていた。
というより、瞬は大抵の国に溶け込んでしまえるという特技を持っている人間だった。
ドイツではドイツ人だったし、日本では日本人、黒人しかいない国ではさすがに無理だったが、黄色人種・白色人種なら、瞬はその国の人間になりきってしまえるんだ。
他人に、どこか普通ではない印象は与えるらしいが、その国の人間だと言えば、大抵の者はその言葉を疑わなかった。
もちろん、どの国ででも瞬は“美しい人間”に分類された。

逆に、俺は、どの国ででも異質な人間だった。
金髪と碧眼が珍しくない国ででも、俺は異邦人と見なされることが多かった。
瞬は世界を受け入れていて、俺は世界を拒んでいる――おそらく、その違いがそういう結果を生むのだろう。

俺たちは生活に困るということがなかった。
金はいくらでもあった。
スイスのプライベート・バンクには俺名義の口座や貸金庫があり、そこには1000人の人間が地球が滅びるまで生き続けても使いきれないだけの金や宝石が転がっている。
死なないということは、大概の危険を恐れる必要がないということで、それは人が近付けない場所にも容易に到達できるということなんだ。
特に20世紀以降、ロシアは亡命貴族が多く出て、あの国では今でも彼等の隠し財産がいたるところに埋もれている。
瞬自身、2つの大戦を切り抜けて、法的には現在でもドイツの大地主だ。

もっとも、ものを食わなくても死なないんだから、金がなくなることが俺たちに不安をもたらすということはない。
まあ、瞬には綺麗な服を着せておいてやりたいし、居心地のいい家に住まわせておきたいから、多少の支出はあるが、俺たちは基本的に奢侈におぼれる人間ではなく――求めるものが他にある人間だった。
そう、俺が求めるものは他にある――。






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