「そうとは限らない」
と氷河は星矢に告げた。
レイプ未遂の嫌疑をかけられたばかりの男にしては、存外に落ち着いた声だった。
半壊したラウンジから避難した先の客間の肘掛け椅子に身を沈めていた星矢は、最初、自分は氷河の言葉を聞き違えたのかと思ったのである。

氷河が悲しみ傷付いた時、誰よりも側にいて力付けてやりたい――と、瞬は言ったのだ。
「それが好きってことじゃないのかよ? ま、いちいち『好き』だからって断らなくても、ただの仲間にも その権利はあると、俺は思うけどさ」
実に常識的かつ客観性を備えた星矢の発言に、少々苦しそうな笑みを浮かべた氷河は、縦にとも横にともなく首を振った。

「瞬は……瞬は、俺に好きだと言われた時に、自分はそうじゃないと答えられなかっただけなんだ、多分。ああいう性格だからな、俺を傷付けるようなことは言えなかったんだろう」
「おまえさ……」
それがわかっていて瞬に好きだと告げたのなら、氷河の告白は卑怯この上ない行為である。
星矢は、そう言って氷河を責めようとした。
が、氷河は、星矢に言われるまでもなく、その事実を自覚していたらしい。
彼は星矢の機先を制して、仲間の告発を受ける前に自身の罪を告解した。

「俺は卑怯なんだ。好きだと言われれば嫌いと答えられない瞬を、俺は知っていたのに――。俺は無理に瞬に、俺を好きだと言わせたようなものだ」
「じゃ、瞬にその気はないのかよ? そういうことなのか?」
「嫌ってもいないだろうが……要するに、瞬は積極的に俺を好きなわけじゃないんだ。多分」
「でも、おまえはやる気満々だろ。いや、やりたい気、か」
「あのな」
星矢の決めつけに腹が立たなかったと言えば嘘になるが、それは自信を持って否定できるようなことでもない。
氷河は、星矢への反駁の言葉を喉の奥に呑み込むしかなかった。

「じゃあ、ほんとにゴーカンするしかないじゃん。てか、今のまま宙ぶらりんの状態を強いられてたら、結局そうなっちまうんじゃねーのか」
「俺はそこまで自制心のない男ではないぞ」
氷河は、さすがにそれは即座に否定した。
氷河の語調が“きっぱり”と言うよりは“あっさり”と言った方がいいようなものだったので、星矢はその主張を『嘘くせー』と笑い飛ばしてしまうことはできなかった。

「もし俺が、瞬にそういう行為を強要することがあるとしたら、それは、瞬がそれを望んでいると確信した時だけだ。その上で、瞬をためらわせているものが、倫理とか常識とかいう くだらないことで、瞬はただその先の一歩を踏み出せずにいるだけだと確認できた時にのみ、そういう事態がありえる。俺は無論、獣欲など抱かずに努めて冷静に事に及ぶがな」
マトモな男にそんな器用なことができるのかと、星矢は疑った。
同時に彼は、氷河なら、瞬のためにそんなこともできてしまうのかもしれない――とも思ったが。

星矢の意見感想などには興味がないらしい氷河が、その視線を客間のドアの方に転じる。
それから彼は、一見したところは ごく自然なものに見える微笑を浮かべ、言った。
「それまでは安心していろ」
そこには、いつのまにか瞬が来ていた。
「俺がおまえの意思を無視して、ひどいことをしたりするはずがないだろう。大丈夫」
「氷河……」
氷河を見詰め返す瞬の瞳は、明白に罪悪感を帯びている。
その様を見て、星矢は盛大な溜め息をついた。

「おまえも災難だな、瞬みたいに面倒なのに惚れて」
星矢の一言に他意が含まれていることは滅多にない。
だからこそ、その言葉は瞬の胸に深く突き刺さったらしかった。
びくりと大きく身体を震わせて、瞬は顔を俯かせた。
「そうじゃないんだ。そうじゃなくて……」
一度は床に落とされた瞬の視線が次に氷河の上に戻ってきた時、瞬の瞳には涙がにじんでいた。
そして瞬は、氷河に――というよりは自分自身に向かって叫んだ。――ように、星矢には思えた。
「そうじゃないんだよっ!」






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