数時間後、一輝と氷河は、全身打撲と複雑怪奇骨折のため包帯とギプスの世話になって、グラード財団が管理運営する総合病院の病室にいた。
外傷の他に記憶の混乱も見られるという医師の話だったが、聖闘士たちの怪我など心配するのも無意味だということを知っている担当外科医は、また面白いレントゲン写真が手に入ったと上機嫌で笑いながら、氷河と一輝が押し込められた病室を出ていってしまったのだった。

“お星様”の魔法は、瞬の憤怒の前にあえなく解けてしまったようだった。
医師がいなくなった途端に早速、病室内では二人の男たちの見苦しい言い争いが始まってしまったのである。
「貴様でなかったら、誰が俺を殺そうとするんだ! 普通の人間なら全治3ヶ月の重症だぞ。自分が何をしたのか わかっているのか、この鳥頭っ」
「全治3ヶ月はこっちも同じだっ! 瞬の兄貴だと思って、殺したいのをずっと我慢してやってたのに、その仲間の命を奪おうとするとは、貴様、本当に最低な男だなっ」
「貴様が何を企もうと、俺は死なんぞ! 瞬の目を覚まさせてやるまでは!」
「俺だって、瞬を完全に俺だけのものにするまでは死んでたまるかーっ!」

到底怪我人のそれとは思えない勢いで、隣りのベッドに縛りつけられている仲間をののしる一輝と氷河に、さすがの星矢が顔をしかめる。
『病院ではお静かに』などという極めて常識的な忠告を口にしたら、それこそ『ふざけるな!』と怒鳴り返されそうで、星矢は二人をたしなめる気にもならなかった。
「氷河と一輝の奴、自分を殺そうとしたのは隣りのベッドにいる奴だって信じてるみたいだけど、誤解 解かなくてもいいのか?」

一輝と氷河を殺そうとしたのは、もちろん氷河と一輝ではない。
彼等を殺そうとしたのは、彼等に秘密を暴露されて正気を失い、本気を通り過ぎ、神の域をも突き抜けてしまったアンドロメダ座の聖闘士その人だった。
「あの二人に親切にほんとのこと教えてあげる必要なんかないよ。兄さんなんて――」
瞬はまた ふつふつと身の内に怒りの感情が生まれてきたのか、両の拳を強く握りしめた。
気付いた星矢の背筋を、ひやりと冷たいものが通り過ぎていく。

「おしめ……おしめのこと、絶対誰にも言わないでって、あんなに頼んでたのに、よりにもよって氷河に喋っちゃうなんて……! 氷河も氷河だよ! あんな……あんな恥ずかしいこと、兄さんにぺらぺら話すなんてデリカシーがないにもほどがあるっ!」
「瞬、落ち着けっ。あの二人、仲が良かった時の記憶は全く残っていないそうだから」
この病院にいるのは、殺されても死なないアテナの聖闘士だけではないのである。
再び燃え上がり始めた瞬の小宇宙を静めるために、紫龍は慌てて 瞬をなだめにかかった。

二人の記憶がない――。
それは瞬にとっては――というより、この病院に入院・来院していた一般人にとって――不幸中の幸いだった。
その事実を思い出したことによって、爆発しかけていた瞬の小宇宙の勢いが、少しだけではあるが削がれる。
完全に沈静化するところまではいかなかったが、少なくとも瞬の小宇宙からは、病院の建物を吹き飛ばすほどの憤怒は消えることになった。

「あの二人は仲が悪い方がいいっ。その方が絶対いいんだから! その方が、氷河も兄さんも、僕の立場と人格を尊重してくれるもの!」
瞳に涙をにじませて、瞬は、ついに辿り着いた厳しい真実を噛みしめ、そして呻いたのである。

「まあ、敵と闘ってる時に、敵を無視して喧嘩を始めさえしなけりゃ、俺はどっちでもいいけど」
一輝と氷河の仲が良かろうが悪かろうが、星矢はそんなことはどちらでも構わなかった。
いざと言うときにはアテナの聖闘士として共に闘うことができる――星矢が、一輝と氷河に求めていることは、基本的にはそれだけだったのだ。
あとは、たまに陰険漫才で無聊を慰めてもらえれば、他に多くを望む気もない。

「そんなところで、何をこそこそ話してるんだっ! 瞬、おまえはまさか、この期に及んで、実の兄を殺そうとした男を庇うつもりじゃないだろうな!」
瞬が怪我人を心配する素振りを見せないのが気に障ったのか、ベッドの上の一輝が突然 瞬にがなり声を浴びせてくる。
瞬は慌てて兄のベッドの脇に駆け寄り、兄の機嫌を取り結び始めた(=火に油を注ぎ始めた)。
「兄さん、落ち着いて。氷河がそんなことするはずないでしょう。兄さんは 僕の大切な兄さんだって、氷河はちゃんと知っててくれるんだから」
「この男は、それが気に食わんのだろーがっ!」
兄の罵倒に、瞬はこの上ない安心感を覚えた。

「瞬っ! おまえ、ろくでもない身内とはさっさと縁を切れっ! そいつは俺を殺そうとしたんだぞっ」
「氷河も落ち着いてよ。兄さんは、僕が氷河をどんなに好きでいるか、ちゃんとわかってくれてるよ。そんなことしないってば」
「わかってるから、危ないんじゃないかーっ!」
氷河の、半ば以上が癇癪でできた怒声。
これこそが、かくあるべき自然な平和の姿だと、つくづく思う。
隣りのベッドの怪我人を口汚くののしり続ける兄と氷河の罵声を、右と左から交互に聞かされながら、瞬はしみじみと真の平和と安寧に我が身を浸らせていた。






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