最初に その魔に魅入られたのは、テーバイの王でもあるサガという男だった。
クレタで評判をとっている劇を観に出掛けて行った先で、彼はその劇を書いた作家と知り合い、その甥である少年をも知ることになったらしい。
その少年にすっかり魅入られたサガは、彼を引き取りたいと、彼の保護者に申し入れた。
サガに望まれた少年が二つ返事でテーバイの王のものになることを承諾していたら、あるいは、このような事態にはならなかったかもしれない。
しかし、少年はサガの申し出を丁重に辞退した。
そして、サガは彼を自分のものにすることを諦めてしまえなかった。
領国にもアテナの許にも帰らず、彼はクレタに居座り続けたのだ。

その話を聞いたミロス島の領主であるミロが、らしくもない騒ぎを起こしている仲間を説得するためにクレタに向かい、(これはある意味、彼らしいこととも言えたが)ミイラ取りがミイラになった。
サガを迎えに行ったミロまでが魔性の少年にイカレ・・・て、その少年を巡ってサガと争奪戦を開始してしまったというのだから、これは尋常の事態ではない。
あとは芋づる式だった。

事態を憂えた者、同輩の身を案じた者、ほとんど物見遊山気分だった者。
黄金聖闘士たちがクレタに向かった理由はそれぞれだったが、結果はただ一つだけだった。
彼等は、その ことごとくがクレタのヘレンの魔力の虜になってしまったのである。
そして始まった、アテナの最高位の聖闘士たちの恋の鞘当て。
彼等の間にはもともと、アテナに仕える者として、国の統治者として の対抗意識――といったものが潜在していたのだろう。
本来は皆、我が強く、プライドが高く、自分に絶対の自信を持っている男たちばかりである。
恋情という ごく原始的な感情と、最も優れた者だけが得ることのできる具体的な勝利の証がそこにあること。
それらの物事が、彼等の内に潜在していた対抗意識を顕在化させるきっかけになってしまったのかもしれなかった。

事情はどうあれ、クレタ島に集結した名だたるギリシャの英雄賢人たちが、平和を守るための闘いをしか為してはならないはずのアテナの聖闘士たちが、揃いも揃って一人の少年に心を奪われ、味方同士で命を賭けた闘いを始めかねない勢いで その少年の争奪戦を始めたのは、紛う方なき事実だった。

困り果てた少年の伯父である劇作家は、やがて、トロイのヘレンの父親にならって、彼等に一つの誓約を結ばせることを思いつく。
甥が彼等すべてを拒絶しているから事態は紛糾するのであって、無理にでも甥に彼等の中から一人を選ばせてしまえばいいのだと、かの劇作家は考えたのである。
その決定は甥の意思のみによって為され、選ばれなかった者たちは、その決定に異議を唱えることなく、甥の意思を尊重すること――それが、誓約の内容だった。
黄金聖闘士たちはそのほとんどが自信に満ちて、その誓約に同意したのである。

ところが、その少年が我が身を委ねる相手として選んだのが、同輩たちの愚行を戒めるためにクレタにやってきた最後の黄金聖闘士だったからたまらない。
彼は、到底その少年の恋の相手にはなり得ない年齢の――つまりは、老人だったのだ。
どう考えても、少年が彼を選んだのは、この事態を収束させるための方便であって、恋情からではない。
そう確信した黄金聖闘士たちは、誓約を 形ばかりは守って、老人が少年を彼の領国イタケに連れ帰ることは黙認したが、自分の領国やアテナの許には戻らずに少年のあとを追った。

かくして、クレタ島からイタケ島へと場所を移して第二ラウンド開始。
ギリシャ世界は、高名な英雄たちの所業に呆れ果て、同時に、問題の少年に『トロイのヘレンの再来』という、名誉なのか不名誉なのかわからない名を奉じたのである。

少年の魔力の秘密を解き明かし、アテナの十二将をそれぞれの領地、もしくはアテナの御座所である聖域に連れ戻すのが、ヒョウガに課せられた使命だった。






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