イオニア海に浮かぶ小島・イタケは美しい国だった。
トロイ戦争の頃には、賢人オデュッセウスが支配していた国である。
海に面した白亜の城砦は かつての王たちが築いたもので、その一部は港に直結していた。
城が港のすぐ側にあるというより、城の横に王族用の船着き場を作ったものらしい。

迎えに出てきた老師は、噂のヘレンを伴っていた。
城砦の地下部分から海に向かって突き出た白い花崗岩の桟橋に、老齢の王と少年が一人だけ、夏の午後の海風に吹かれて立っている。
老師は、船から降りた三人の聖闘士に、
「シュンだ」
と、その名前だけを告げて、噂のヘレンを紹介した。

老王にシュンと呼ばれた少年は小柄で細く、姿勢がよかった。
視線をまっすぐ前に向けている。
丈の短いキトンからのぞく伸びやかな手足は、子供のそれのようになめらかで白い。
表情は、いっそ幼いと言って差し支えないほどで、そこには、ヒョウガが想像していた魔性のかけらも見い出せなかった。
むしろ清純で素朴でさえある。
その瞳はエメラルドの海よりも深く、それでいて澄んで明るい。
ヒョウガは、海に魅入られるように、その瞳に魅入られた。

「おい、ヒョウガ」
「ヒョウガ、何ぼーっとしてんだよ!」
「あ……ああ」
シリュウとセイヤに名を呼ばれ、ヒョウガははっと我にかえった。
「な、確かに美少年だが、目が覚めるほどでもないだろう?」
シリュウが声をひそめて、ヒョウガにだけ聞こえるように囁く。
「そ……そうだな」

ぎこちなく仲間の言葉に頷き返しながら、ヒョウガは、シリュウの目はどうかしていると思っていた。
透明な風のように涼やかな姿と、目を奪われる眼差し、海の色をした瞳。
この少年に心を動かされない者がいることが、ヒョウガには信じられなかった。
それとも――。
それとも、おかしいのは自分の方なのか――と、心の片隅で自分自身を疑う。
しかし、どれだけ目を凝らし、気持ちを落ち着かせてシュンを見直しても、その凝視に戸惑ったシュンが瞼を伏せてしまうほど強く その目を見詰め続けても、ヒョウガには、自分の眼前にあるものが魅惑のかたまりにしか見えなかったのである。

老師への口上らしい口上も口にせずシュンを見詰め続けているヒョウガの挙動不審に、シリュウは僅かに眉をひそめた。
「パリスと同じ轍は踏むなよ! 大物の証明なんかしなくていいから」
遠慮のない大声でヒョウガに注意を促したのは、ヒョウガのもう一人の副官だった。






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