イタケ王の住まいである白亜の城砦は、東側の海に面した断崖絶壁の上にあった。
城の地下には長い石の階段が続き、そこを下っていくと、ヒョウガたちが船をつけた例の桟橋に出る。
城の上部にはイオニア海を一望できる高台があり、目を凝らせばペロポネソス半島を臨むこともできた。

夏の陽射しを受けた海が恐ろしいほど青い。
ヒョウガの生国はイタケよりアテネより はるかに北方にある。
イタケの城から見える海は、ヒョウガが幼い頃に見慣れた灰色の海とは趣を異にしていた。
シュンの瞳の色は、イオニア海の青とも、ヒョウガの知っている海の灰色とも違っている――と思う。
だが、それは確かに海の色で、もしかしたらそれは人界には存在しない幻想の国の海の色なのかもしれない――。
そんなことを考えながら海を見詰めていたヒョウガが、自分もまた海に見詰められていることに気付いたのは、おそらく その海がこの高台にやってきてから相当の時間が経過したあとのことだった。

幻想の海の瞳の持ち主の、ここは気に入りの場所だったらしい。
その場所を勝手に侵した者に、しかし、シュンは文句の一つも言ってこなかった。
「……何か言わないのか」
「あなたは余計な雑音はお嫌いそう――ここには似合いません」
「……」
シュンの言う通り、ヒョウガは饒舌な人間が嫌いだった――正確には、沈黙を守るべき時と場所において、沈黙を保てない人間が嫌いだった。
だが今は――まさか、二人して無言で海を眺めてもいられない。
ヒョウガはぶっきらぼうに、
「喋ってもいい」
と、シュンに告げた。

告げられたシュンが、しばし何を語るべきかを迷ったような素振りを見せてから、ゆっくりと口を開く。
「こうして正式なお迎えもいらしたことですし、皆さんに お国に帰るよう説得してみたんですが……」
シュンの努力は徒労に終わったらしい。
だが、シュンの行為をただのでしゃばりと思うことは、ヒョウガにはできなかった。
なぜそんな余計なことをするのかと、少し腹は立ったが。

「それは俺の仕事だ。俺がする。おまえ、もう少し慎重になったらどうだ。おまえが近付いていったら、自分はおまえに愛されていると信じ切っているあいつ等は、それがおまえの望みだと思って、おまえを手込めにしかねないぞ」
「そんなことには……」
シュンが無理な笑みを作って、顔をあげる。
二人の視線が交わって、途端にヒョウガはシュンの瞳から目を逸らせなくなった。
それはシュンも同様だったらしく、二人は、西からの海風を受けながら、かなり長い間、互いを互いに見詰め合うことになったのである。
雲ひとつない青一色の空を ふいに白い海鳥が横切り、そのせいで先にヒョウガの上から視線を逸らしたのはシュンの方だった。
ヒョウガがほっと安堵の息を洩らす。

シュンは、やっと逸らすことのできた視線を、城の高台の周囲を囲む花崗岩の手擦りの上に移動させ――やはり無言でい続けた。
本当に口数の少ない少年だと、ヒョウガは感嘆することになったのである。
考えがあって黙っているのでなければ ただの暗愚と思えるほど、シュンは静かな人間だった。
アテナの使者に弁明しなければならないような秘密をその内に抱いていないからこそ、シュンは沈黙を守ることができるのかもしれない。
だとしたら、この沈黙は好ましいものである。

だが、ヒョウガは、今はシュンに何かを言ってほしかった。
この沈黙が、なぜか息苦しい。
まるで気持ちを告白していない恋人と共にいるようなじれったさを、ヒョウガはシュンとの出会いに感じていた。






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