「よし、俺もう一度試してみる!」
そう言って星矢が腰掛けていたソファから立ち上がった時、紫龍は、彼が何を試すつもりになったのかを了解していなかった。
ラウンジを飛び出た星矢が、青銅聖闘士たちの私室のある二階の棟に駆け上がり、氷河の部屋のドアをノックもせずに開け広げたかと思うと、
「やーい、やーい、おまえのかーちゃん でーべーそー」
と喚き立てた時、紫龍は初めて星矢の言葉の意味を理解したのである。

星矢は、幼かった頃、3時間の長きに渡って彼を庭の高木の上に追い詰めた言葉を再び氷河に投げつけ、そうすることによって氷河が決してクールな男ではないことを証明する計画を立てたのだ。
それは無謀というより、児戯である。
紫龍は正直、星矢の“計画”に思い切り脱力した。

「星矢! 星矢、何てこと言うのっ!」
ちょうど隣りの自室から出てきた瞬が、星矢の大声を聞きとがめて、氷河と星矢の間に割り込んでくる。
暴言を投げつけられた氷河がまるで表情を変えていないことが、瞬をかえって心配にさせた。
「氷河に謝って!」
細い眉を吊り上げた瞬に謝るように厳命されても、星矢はその気になれなかったのである。
氷河が期待通りの反応を示してこないことで、彼はすっかり拗ねてしまっていたのだ。
「星矢っ!」

瞬が再度、星矢の名を責めるように叫ぶ。
その瞬を押しとどめたのは、星矢の暴言に怒髪天を衝いていていいはずの氷河その人だった。
「いい」
彼は激昂している瞬の肩に手を置き、むしろ瞬を落ち着かせるように殊更ゆっくりと その首を左右に振った。
「でも、氷河……」
「ただの冗談に決まっているだろう」
氷河の声音が穏やかなせいで、瞬の瞳には涙がにじんできてしまったのである。

幼い頃のあの出来事を、瞬は鮮明に記憶していた。
氷河の命を守るためにその身を犠牲にした若く美しい氷河の母。
その母を 呆れるほど低次元な言葉で侮辱された氷河の悔しさを、想像することしかできなかっただけに、あの時 瞬はつらい思いを味わったのである。
氷河がどんなに変わろうと、亡き母を思う彼の心だけは決して変わるはずがないと、瞬は信じていた。
その心は変わらないままで、おそらく彼は大人になり耐えることを覚えたのだ。
最愛の母を侮辱されているというのに、氷河は怒りを我慢している――。

「星矢、氷河に謝るまで絶交だから!」
氷河が耐えて仲間を責めないというのなら、それは氷河の仲間である瞬の務めだった。
だから瞬は星矢に対して絶交を宣言し、星矢はまさに藪をつついて蛇を出した格好になってしまったのである。

「瞬っ、何でだよっ!」
星矢にしてみれば、クールでもないくせに勝手にクールを気取っている氷河の方が悪者なのである。
それで瞬に絶交を言い渡されてしまうのは、星矢にしてみれば理不尽以外の何物でもなかった。
瞬は、しかし、星矢のすがるような声を無視して氷河の部屋を出ていってしまった。
星矢はもちろんすぐに瞬のあとを追ったのである。






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