「で? おまえはなぜ急に無口な男になったんだ」 元気で賑やかな二人が その場から立ち去ると、紫龍はおもむろに 壁際にあった椅子を部屋の中央に引いてきて、その椅子にどっかと腰をおろした。 「俺は――」 「星矢はあれでも、おまえが本来のおまえじゃないことを心配して、ああいう馬鹿な真似をしたんだ。怒るな」 「怒ってはいない」 長い沈黙――が、氷河の部屋を覆い、満ちる。 紫龍が、事の次第と結末を確認できるまでは引き下がらないつもりでいるらしいことを知って、氷河は観念したように重々しく口を開いた。 「俺は瞬が好きだ。……と、十二宮の戦いで気付いた」 「遅いな。俺は、ここでおまえたちが再会した時にはもう、おまえは瞬にイカれているとわかっていたぞ。要するにガキの頃から」 「そうだったと思う。だが、俺が自覚したのは十二宮戦のあとだった。瞬に好かれたいと思った」 「それで態度が素っ気なくなるというのは、道理に適っていないじゃないか」 紫龍の意見は至極尤もである。 しかし、氷河には氷河の都合というものがあったのだ。 「ガキの頃に……瞬はクールな奴が好きだと言っていた。だから、そうなろうとした」 「瞬がクールな奴が好き――というのは、俺は初耳だが」 紫龍は、あの幼い頃の夏の日の出来事をほぼ忘れてしまっていた。 それは、彼にとっては日常のありふれた一コマに過ぎなかったし、記憶するほど重要な何かが起きた場面ではなかったのだ。 ぽつぽつと氷河があの夏の日の光景を語るのを聞いて、紫龍はようやくその場面の記憶を取り戻すことができたのである。 「あれはそういう意味では――」 そういう意味ではなかったから、紫龍には、瞬のその発言の記憶がなかったのだ。 彼は、瞬の発言がその言葉通りでないことを知っており、ゆえにそれは紫龍にとって記憶する価値のない言葉だったのである。 瞬はクールな男が好きなのではなく、氷河が好きだったから、そんなことを言って仲間たちをごまかしたにすぎない。 瞬は、どういうわけか昔から氷河を好きでいた――特別に意識していた。 氷河のマザコンが氷河に対する瞬の好意の一因と、紫龍は察していたが、今はそれはどうでもいいことである。 「俺は――自慢じゃないが、クールとは対極にある男だ。だが、瞬には好かれたい。手っ取り早くクールになる方法はないかと考え込んでいたら、通りかかった沙織さんが、喋りさえしなければ俺はクールに見えないこともないとアドバイスしてくれたんだ」 「……」 その時、紫龍は、胸中で、 (アーテーナーっ !! ) と、ボリューム最大の大声で叫んでいたのである。 彼女はいつも無責任な思いつきを無責任に口にして、その尻拭いを彼女の聖闘士たちに押しつけるのだ。 思えば、これまでのアテナの聖闘士たちの戦いのほとんどが、彼女の無責任な思いつきや無鉄砲から始まっていた。 氷河とて、そんな彼女の犠牲者の内の一人である。 決して彼女の性癖を失念していたわけではないだろう。 しかし、藁にもすがる思いでいた彼は、女神の無責任な言葉を真に受け、実践に及んでしまったらしい。 もしかすると白鳥座の聖闘士こそは、某山羊座の聖闘士などより最もアテナへの忠誠心に篤い聖闘士なのではないかと、紫龍は思ったのである。 もちろん、それは絶対に、称賛されるようなことでも名誉なことでもない。 「喋らないでいると、その分 瞬を見ていられて、瞬のことを考えていられて、快適なことに気付いた。――楽だし」 「ら……楽……」 紫龍が、呻きともぼやきともつかない声を洩らす。 “楽”でクールを実践できるものなら、これほどお手軽なクールもない。 「俺は、沙織さんにああ言ってもらえなかったら、好きだ好きだと うるさくまとわりついて、瞬に鬱陶しがられていたかもしれない。そういう事態を避けられたことはありがたいが、しかし、瞬にこんなふうに良い方に誤解されるのは――」 「良い方に誤解?」 アテナの無責任と氷河の阿呆ぶりに呆れ果て、紫龍は既に鸚鵡返ししかできないありさまになっていた。 「俺は、俺のカーチャンがデベソかどうかなんてことはどうでもいいんだ。それで彼女の価値が変わるわけでもないし、そんな言葉で彼女が貶められるはずもない。生きている今の俺には瞬の方が大事で、より重要だ。だから平気でいただけなのに、瞬が一人で好意的に誤解して――。それは、俺には得になる誤解かもしれないが、不本意だ。星矢にも悪いことをした」 「……」 『雄弁は銀、沈黙は金』と言ったのは、英国の歴史家にして評論家でもあるトーマス・カーライル。 もちろん彼は、何が何でも黙っていることに価値があるということを主張するために、そんなことを言ったわけではない。 『沈黙は雄弁以上に人の心に作用することがある』というのが、その本意であろう。 少々意地の悪い解釈をすれば、それは『沈黙を守っていれば金メッキがはがれることはない』という、皮肉な教訓でもある。 そして、だが、氷河は、メッキを貼って瞬の前に立ちたくないと言っているのだ。 クールの振りは罪悪感なくしでかしてしまえるのに、実際に瞬に好意を示されると、氷河はその状況に戸惑わずにいられなかったらしい。 男心は実に複雑である。 複雑な男心に、紫龍は嘆息した。 |