からかいの色のない――むしろ、しみじみとした口調の――瞬の反応に、氷河は瞳を見開いた。
実は氷河は、自分の(非)マザコン宣言を聞いた瞬の口からは侮蔑に類する言葉が出てくるものと思っていたのだ。
100人中99人、女子ならばほぼ100パーセントの人間がそうであるように。
当人には聞きにくいので、氷河は脇にいた星矢の肩を掴み、低い声で彼に尋ねた。
「引かないのか?」
「引かないだろ。瞬は、俺や紫龍とおんなじで親が両方いないんだ。マザコンなんて、なりたくてもなれない憧れの病気だもんな」

声の大きさを加減することを知らない星矢が、殊更 大きいわけではないが、通常のボリュームレベルの音量で答えを返してくる。
それは、この新しい学友が星矢たちと十年来のつきあい――と聞いた時点で、察してしかるべきことだった。
氷河は自分の迂闊に舌打ちをしたのである。

「俺たちのいる施設にいたんだよ、兄貴と一緒に。来て半年くらいで、引き取り先が決まったとかで出てったんだけど。親戚同士の取り決めで、兄貴とはばらばらに1年おきくらいに あちこちの家を転々としたのかな。毎年転校もしてた。そんで、夏休みや冬休みには、俺たちのとこに遊びに来させられるんだ。で、ご親戚一家は海外旅行とかさ。おかげで俺たちは楽しかったけど」

そこまで言ってしまってから、星矢は瞬に向き直り、
「あ、こいつに言ってもよかったか?」
と、瞬に尋ねた。
瞬が軽い微笑を浮かべ、彼の幼馴染みに頷く。
「星矢と紫龍の友だちだもの」
「ん」
瞬の許可を得ると、星矢は言葉の先を続けた。
肝心のところは既に話し終えて、あとは結末部分しか残っていなかったが。

「兄貴がさ、大学入って、学生の分際でIT事業始めたんだけど、それがやたらに儲かってるんだと。成人もして、経済的にも独り立ちできるくらいになって、家買って、瞬を引き取って、先月からやっと兄弟一緒に暮らせるようになったんだよな。んで、瞬はここに転校してきたわけ」
「そうか」
瞬の兄も、星矢たちとは顔馴染みであるらしい。
話が瞬の兄に及ぶと、紫龍は思い出したように彼の近況を瞬に尋ねていった。

「そう、その一輝はどうしてる? 夏休みの間は兄弟水入らずで過ごせたのか?」
「元気だよ。忙しくて滅多に家には帰ってきてくれないけど。今日が僕の転校初日だからって心配したのか、昨日はちょっとだけ顔を見せてくれた」
「せっかく兄弟で暮らせるようになったのにか」
「学業とお仕事の両立は大変みたい。でも、他人の家で暮らさなくてもよくなった分、僕は嬉しいんだ。僕は兄さんの帰ってくる家にいるんだから」
「そうか……そうだな」

我の強い兄とは違って、瞬は基本的に人当たりがやわらかく、他人に受け入れられやすい性質の人間である。
本来は誰からも愛されるタイプの人間であるはずだった。
愛されるだけではなく、愛することも信じることも、瞬はできる。
実際、彼の古巣である養護施設では、瞬は誰からも好かれていたし、誰とも親しみ合っていた。
その瞬が、彼の親戚という立場にある者たちを『他人』と呼ぶ。
他人の家の厄介者として つらい思いを味わってきたのであろう瞬の頭を 2、3度軽く叩くことで、紫龍は旧友のこれまでをねぎらってやったのだった。






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