瞬と紫龍のやりとりに聞き耳を立てながら、氷河はそれでも納得できずにいたのである。
「だが、事情はどうあれ、俺のマザコン宣言を聞いたら、普通の女は引くだろう」
――というのが、過去の幾多の経験を経て確信するに至った彼の持論だったのだ。

「あのな。おまえ、瞬が着てるもの見えてるか? 瞬は男だ男」
「……嘘だろう」
氷河の呟きを聞くと、星矢は途端に嬉しそうになった。
異様に瞳を輝かせ、紫龍としんみりした話をしている瞬に、大声でご注進に及ぶ。
「瞬ー、氷河がおまえのこと、絶対に絶対に女だって言ってるぞー!」
「おい、星矢! 俺はそこまで力説はしていな――」

星矢と紫龍の気に入りの友人であるらしい瞬が 本当に男なのだとしたら、自分の正直な所感は決して褒め言葉ではない。
できるなら当人には聞かせたくもない。
星矢の浮かれた様子を訝りながらも、氷河は掛けていたベンチから立ち上がり、星矢の肩を掴みかけた。
そこに、瞬が、これまでとあまり変わらない表情で――むしろ、一層やわらかい印象が勝った表情をして――古い友人と新しい友人の側に歩み寄ってくる。
にこにこ笑いながら、瞬は古い友人の方に尋ねた。

「星矢、彼、そっちの方の心得はあるの? 強い? 受け身はできる?」
「あー、強い強い」
「そう」
ことさら優しくゆっくりと、瞬は新しい友人のために笑顔を作った。
その笑顔を崩すことなく、足の位置を変えることで氷河の上体を前方に崩す。
僅かに重心のずれた氷河の身体は、次の瞬間、彼の胸元に入ってきた瞬の肩を軸にして宙に浮かび、更に一瞬間後、彼の身体は中庭の芝生の上に仰向けに倒れていた。

自分が瞬に、いわゆる 体落としをかけられたことを氷河が理解したのは、更に数秒の時間が経過してからだった。
反射的に受け身の態勢はとったが、これだけの大技をかけられたというのに、身体に全く痛みを感じない。
少女と見紛う細腕の持ち主は、技をかけた瞬間の勢いを、技を決める直前にその腕に力を込めることで、ほとんど殺してしまったらしい。
空中に放り投げられた子供を 落下の加速を消しながら受けとめる、親子の間でしばしば為される あの遊びのように、氷河は瞬に優しく芝生の上に置かれてしまったのである。

氷河はしばらく、秋めいて高くなった9月の青い空を見詰め、自身の醜態に唖然としていた。
油断していたとはいえ、ここまで鮮やかに、ここまで気を遣われた投げ技を決められたのは、氷河はこれが生まれて初めてのことだったのだ。
その場に居合わせた他の生徒たちも――彼等は、異様に目立つ4人組の動向をずっと気にしていたらしい―― 一様にぽかんと口を開け、芝の上に倒れている金髪の最上級生と、その脇に立つ小柄な1年坊主を見詰めている。

「僕、そういうこと言われるのが大嫌いなんです」
にこにこ笑いながら、瞬が、右の手を氷河の前に差し出してくる。
しばし迷ってから、氷河はその手を借りて その場に立ち上がった。
小さな手だった。

「瞬に投げ飛ばされるの、気持ちいいだろー。全然痛くねーし」
「瞬にその手のことを言うと、投げ飛ばされることになっているんだ。もちろん、武道の心得のある奴に限られるんだが――転校初日だし、これから学友たちになめられないためのパフォーマンスも兼ねているんだろう。すまんな、今日のところは大人しく投げられてやってくれ」
瞬の幼馴染みたちが、それぞれに勝手なことを言って、氷河をなだめにかかる。
中庭だけでなく、中庭を囲む校舎の各階の窓に物見高い見物人たちが鈴なりになっていることに 今になって気付き、氷河は渋い顔になった。
瞬に投げ飛ばされることは、確かに爽快だったのではあるが。

「昔っから女みたいな奴だったけど、ガキの頃には、高校生になっても瞬がこんなでいるとは俺だって思ってなかったんだぜ。けどさ、俺、年に何回かは会ってたんだけどさ、瞬の奴、会うたび女の子みたいになってくんだもんなー。最近は、一生このままなんじゃないかと、俺も心配してるわけよ」
「星矢」
言葉の上でだけは心配してみせる旧友に、瞬がまたあの笑顔を作って近寄っていく。
星矢は、氷河と違って油断などしてしなかったろうが、そして もちろん、この事態をより楽しむために決して手も気も抜いていなかったろうが、数秒後には星矢の身体も 数刻前の氷河のそれと同じ運命を辿っていた。

「あのすばしこい星矢を……。すごいな」
衆目の中で失態を演じさせられたことへの怒りも忘れ、氷河はしみじみと呻いてしまったのである。
「瞬は、顔はあの通りだが、男顔負けに何でもできるんだ。武道も力を使う仕事も喧嘩も。性格もきつくはないし、ある意味デリケートではあるんだが、滅多なことでは挫けたりも落ち込んだりもしない」
「そうは見えないが」
「女顔負けに料理・洗濯・掃除もできるぞ。趣味がレース編みと兄貴の影響で始めた古武道」

どう見ても本気でやり合っている二人の下級生をいさめようともせずに、紫龍が低い声で呟く。
「瞬も苦労してるから……」
多少のことは大目に見て友人として受け入れてやってくれと、言葉にはせずに紫龍は言っていた。






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