星矢と紫龍を通じて日を追うごとに親しくなってはいたが、学校以外の場所で会うことのなかった氷河の姿を 瞬が街中で見掛けたのは、二学期が始まってから1ヶ月が過ぎた休日の午後のことだった。
郊外の小さな私鉄の駅につながる商店街。
参考書を買い求めて書店を出た瞬は、ちょうどその書店の向かい側にある花屋から、白いバラの花束を持って出てきた氷河の姿を認めることになったのである。

白いYシャツに黒いパンツ。
髪と瞳の色と日本人離れした体格のよさを除けば ごく普通の高校生のいでたちをしているというのに、氷河は尋常の日本人とは違って、花束を携えている姿が至極自然だった。
花を持っているだけで変に目立ってしまう日本人とは趣を異にしている。

瞬の視線に気付いた氷河は、一瞬困惑したような表情になり、だがすぐにその困惑の色を消し去った。
瞬が、車両の入ってこないレンガの道を横切って、氷河の側に駆け寄っていく。
「氷河、お花買ってきたの? 誰に?」
瞬はもちろん、からかうつもりで氷河にそう尋ねたのである。
返ってくる答えは決まっていると思っていたから。
しかし、彼は、瞬の予想通りの答えはおろか、沈黙をしか瞬に与えてくれなかった。
瞬は、出会った瞬間の氷河の困惑の表情を思い出し、自分がまずいことを訊いてしまったことに――その可能性に――思い至ったのである。
これまでそんなことは一度も考えたことがなかったのに、なぜか今日は氷河の側にいたくないと、瞬は思った。

「あ、ごめんなさい。じゃ、その人によろしく」
瞬はそれだけを言って、早々に氷河の側から離れようとした。
その手を、氷河の手が掴まえる。
「おまえ、何か誤解していないか。これはマーマのための花だ」
「あ……」
予想通り――というより期待通りの答えが、今頃になって氷河から返ってくる。
遅れて返ってきた答えに、しかし瞬はほっと安堵の息を洩らした。

「そうなのかな……とは思ったんだけど、でも、もしそうなのなら氷河は堂々と言うはずだし、もしかしたら彼女へのプレゼントなのかなあって――」
「そんなものはいない。俺はマーマ一筋だ」
「うん。そうだよね。引きとめてごめんなさい。マーマによろしく」
その答えさえ貰うことができたなら、今このまま彼と別れてしまうことも さして苦痛ではない。
急にふわりと軽くなった心を感じながら、瞬は氷河の前で踵を返しかけた。
それから、ふと思いついて、再度氷河の方に向き直る。

「あの……いつか会わせてね、氷河のマーマ」
「……」
瞬は決して軽々な気持ちでそんなことを言ったわけではなかったのだが、それがむしろよくなかったのかもしれない。
氷河は、瞬が期待した気安い様子での『OK』を、瞬に与えてはくれなかった。
あまり人通りのない晴れた休日の商店街に気まずい沈黙が流れる。
「あ……じゃあまた」
瞬は再び重くなった心を抱えて、家に続く道を歩き出すことになった。

「そのうちに……いつか、きっと」
瞬が氷河から5、6歩離れてしまってから、またしても氷河の遅い返事が返ってくる。
瞬が振り返ると、そこに立つ氷河の表情は、先ほどより ほんの少しだけやわらかいものになっていた。

「うん……!」
こんな些細なやりとりの一つ一つに、どうして自分はこんなにも一喜一憂しているのかと疑わないでもなかったのだが、それで瞬の心が軽く明るくなったのは 紛うことのない事実である。
「うん、約束だよ!」
瞬が軽快なフットワークで駆け出したのは、早く氷河との間に距離を置きたいと思ったからではなかった。






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